兵庫県立美術館 特別展「ジョルジョ・モランディ」展ブロガー向け内覧会

モランディさんのことはまったく知らないアーティストでしたが、webの作品画像から惹かれるものを感じたので、内覧会に申込みました。


ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1512/index.html

最初に美術館の担当の江上ゆかさんから、モランディについて詳しい解説があり、その後、会場へ行き作品を観ました。
展示はイタリアのモランディ美術館さんの企画で、11のコーナーに分れて、年代や技法を横断して、その表現に特徴的な傾向のカテゴリーでまとめられています。
私は20代の頃、銅版画制作をしていたので、やはり様々なモランディさんの技法の中でも銅版画のことが気になりましたので、銅版画を特に集中して観て廻りました。
それと何故か他の技法の油彩や水彩画のタイトルが単に「静物画」と素っ気無いのに対して、銅版画だけが個別の詳しいタイトルが付けられているのも、それが何故なのか気になりました。銅版画に付けられた、そのタイトルのいくつかは、作品No43「11の器のある円形の大きな静物」とか、作品No44「7つの器のある円形の静物」のように、描かれた静物の数が明記してあり、かつ油彩や水彩に較べて静物の数が多く、かつ画面も描かれた壜や器がトリミングされて、作者に近い光景のように描かれている特徴がありました。
それで、各作品に描かれている静物の数をメモしていき、帰宅後パソコンに入力してチェックしてみました。

最初は展示順に記録しています(紙に鉛筆の技法は抜いています)
2016-01-23-モランディ展ブロガー内覧会-データー.pdf 直

表計算ソフトで集計しますと1点当りの静物数は
銅版画技法:6.9個
油彩   :5.4個
水彩   :3.0個
となり、技法間で有意差がありました。
会場で作品を観た印象と併せますと、いわゆる一目で観た時に瞬間的に捉えられる素早い処理のスービタイジング(Subitizing)と呼ばれる4個までの数と、カウンティング(counting)と呼ばれる5〜8個までの数が意識されて、静物数の数がグルーピングされているように観えてきました。
それがモランディさんの技法に属する特性なのか、今回の展示で集められた作品がたまたまそうなのか全ての作品を調べてみないと分りませんが、数へのタイトルのこだわりから観て、意識されているのではと推測しました。
一目で観た時に瞬間的に捉えられる素早い処理のスービタイジング(Subitizing)の研究が最初に発表されたのは、1949年のようで、ではモランディさんの作品群を技法によるグルーピングではなく、制作年代順に並び替えてみたらどうなのか、やってみました。
また1949年のスービタイジング論文をモランディさんが知っていたか否かは分りませんが、前後で変化があるのか、線引きして集計もしてみました。

制作年代順に並び替えたデーター
2016-01-23-モランディ展ブロガー内覧会-データー2.pdf 直

すると、初期の作品のほとんどが銅版画で、静物数も多く、次第に油彩画中心となり、晩年の作品は水彩画で静物数も4個以下の少ないものとなりました。
これも、モランディさんの全ての作品を検索してみないと分らないですが、プロフィールでは、1930年にボローニャの美術アカデミーの銅版画科の教授職を得る、とあり、指導と並行して静物画制作も銅版画を多く制作されたのかもと推測します。
そして、銅版画にのみ、静物数を冠したタイトルを明確に言葉で付けているのは、作品自体の捉え方も、より意識の領域に近いものとして構想されていて、特に魅力的な銅版画は8個以上の一目では捉えきれない静物数の設定と、それが銅版画の線描エッチングの鋭く細い線の集積の表現と合致していると感じます。
油彩画は、銅版画のように、静物自体がトリミングされることはなく、背景の地の部分をゆったりととっていて、静物の個数も4個〜8個程度の一目で捉えられるが、カウントの必要な適度な密度となっている。
そして、晩年に多い、水彩画はほとんどシルエットのみで、かつ静物画の個数も4個以下の素早く処理の出来るスービタイジングなものとなっていて、より無意識の領域に近いイメージが描かれているように感じました。
以上から下記の三層構成な構造をイメージしました。

銅版画=意識に近い領域の世界(言語と結び付いて)
油彩画=意識と無意識の中間的な領域の世界(適度な個数の静物群)
水彩画=無意識に近い領域の世界(スービタイジングな)

美術館の担当の江上ゆかさんのお話では、モランディのアトリエはとても小さいもので、作品も小品しか作らなかったらしい(モランディさん自身は190cmくらいの長身だったそうですが)
晩年、アトリエの中で、様々な実験の結果収穫された多様な自作を並べて、高速処理できるスービタイジングな静物数の作品と、カウンティング必要な静物数の作品とを見比べながら、眼球運動を彼は楽しんでいたのではないだろうか?
展示構成が、あえて年代順にされていない理由は、モランディさんが日常目にしていた、高速処理可能な絵画群と、カウンティングな絵画群の多重なイメージのあるアトリエ空間を意識しているのかもしれないと感じました。
もし、モランディさんのアトリエを再現したスケールの中に複数の作品を展示構成したら、より刺激的な視覚体験が生まれてくるのではと感じる。(同時代の抽象絵画モンドリアンのアトリエの壁面に飾られた絵画を観てモビールの着想を得たカルダーのように。美術館の担当者さんのお話では、モランディさんは風景画等の類似性指摘された際に「私はモンドリアンとは違う」と言及し、否定されているそうですが、根源的には近いイメージを持ったアーティストではないかと感じます)
また、モランディさんの作品世界には、現代アートのテイストの源泉のようなものを感じるが、展示上の構成がその部分にもあればさらに理解が深まったのではと感じる。
ブロガー内覧会の貴重な機会を与えていただき感謝です。