乃村拓郎「On」展

家族と大阪駅で解散して私だけ環状線で西九条のthe three konohanaへ。
昨年拝見したグループ展、Director’s Eye #2 野口 卓海  「まよわないために -not to stray-」の時に出展されていた作家さんの個展。

乃村拓郎「On」展
http://thethree.net/voice/3150
the three konohanaのwebより引用

山中さんから詳しく作品解説して頂いたので、理解が深まりました。
写真と彫刻の展示ですが、写真の作り方が特別な方法で作られていて、その事に言及することは今は出来ないので、展覧会終了後に詳しく書いて見たいなと思いますが、今の私が興味を持っている、皮膚感覚=観察者中心座標系=大きさの必要無い世界=言語に近い世界と、視覚の世界=環境中心座標系との関係について、クリエイションというよりは、どちらかと言えば研究であったり、試作的な印象の強い作品群でした。しかもとても射程の深い試みと感じます。
昨年のグループ展の時の全体の印象として、私は下記の感想を書いていました。

二つの構造のようなもの。
ひとつは、「リニアーな直線的な形態は、生成伸張の限界点において揺らぎはじめ不安定構造となる」
もうひとつは、「包絡された形態は、安定的な構造となる」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20140307/art

乃村さんの作品に対しては

奥の和室にある、工芸の乃村 拓郎さんの作品では、日常使いの道具のような柔らかな包絡された形態が、生成伸張の限界点を求めるかのように、微妙に変形を加えられ、ふたつの構造は混成系となっている。

今回のメインの会場にある、樹木はちょうど、生成伸張の限界点そのものを切り出したかのような瞬間を「置物」として見出している。
壁に展示された石とその写真の展示は柔らかな包絡された形態の新たな試みとも感じられる。
皮膚感覚が大きさを必要としない世界であり、視覚の世界は大きさを必要とすると分離して考えていたけれど、ここでは二次元の写真表現が、特殊な方法によって、視覚と皮膚感覚が境界線が重なるような、言語化しつつあるものとして見えてきました。
とても刺激的な作品群、感謝です。

追記。
山中さんから、いろいろと作品について解説していただいた中で、教えていただいた「アンドレアス・グルスキー展」(2014年2月の国立国際美術館)の写真の作り方が腑に落ちました。
というのも、グルスキーさんの展覧会は私も見ましたが、これどうやって作ってんのかという肝心な部分が謎で、分らないままだったし、それでブログにもメモを書いていませんでしたから。
やっとその謎が解けたし、乃村さんの作品理解も深まりました。
それを聞かなかったら、どうだったか。