「驚きの皮膚」

「驚きの皮膚」傳田光洋著を読む。

仕事のトリプル状態も一段落して久し振りに本を読む。
最近拝見した、「見っけこのはな2015」の連動企画の鈴木寛和さんがコーディネーターされた展覧会「Home/format」の感想に、皮膚感覚(大きさのない世界)を刺激する快楽=観察者中心座標系と、そのパルスを視覚化(大きさのある世界)=環境中心座標系とを並置もしくは連結されたと解釈できる作品への興味を書いていました。

「Home/format」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150927/art2

その延長上に、皮膚感覚(大きさのない世界)を観察者中心座標系とすれば、観察者中心座標は左脳にある(とする説)がありますし、また大きさのない世界をイメージして、そこから少し論理を飛躍させて、それは言語や意味の世界へ繋がるのかと考えてみました。
飛躍させて、皮膚感覚と言語や意味をつなげてみる。
自分でも少し飛躍し過ぎかなと思いましたが、それを仮説に考えてみようと。
それで、駄目元で「皮膚感覚・言語」等で検索してみると、上記の傳田光洋さんのご研究内容や講演記録などが出てきました。
著者は私とほぼ同じ年齢の方で、資生堂の研究員でパブリックの研究施設の研究員もされている皮膚の専門家だった。ネットで見つけたいくつかのテキストが面白かったので、今日の帰路本屋さんで購入しました。
「皮膚感覚が言語を生み出した」という章から読みましたが、さすがに直接的なエビデンスはありませんでしたが、間接的に推測されている。間接的ながらそのエビデンスは示されており、いわゆるトンデモ系ではないので、読むに値すると思います。これを参照しつつ、考えを深化させてみたい。
そして、目的も定かではなく、こうして連想していると、いつも貴重な情報に遭遇する。
傳田さんのネット上のテキストに、拒食症患者の皮膚感覚が鈍っているという研究の引用があり、そこから拒食症患者さんの治療目的に、スキューバダイビングのウエットスーツを着せると食欲が回復するという報告が引用されていました。

「皮膚感覚は自己意識をつくっている」http://kangaeruakari.jp/2015/10/3040/

この研究は、以前、京都国立近代美術館で観た「生存のエシックス」展に展示されていた、テンプル・グランディン(Temple Grandin)さん考案の自閉症の人の為のハグ・マシンを連想させますね。

「生存のエシックス」展
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20100731/art

そしてアーチャンの場合は過食症傾向もしくは食行動の異常があるのですが、傳田さんは逆に皮膚のテンションを下げてやれば食欲も減るのではと推測されています。これも過食に関してのエビデンスはありませんが、とても重要な指摘と感じます。この逆転の発想は私には無かったですね。なる程だ。
アーチャンのprader-willi症候群の場合、皮膚の感覚の異常も指摘されていて、スキンピッキングがあります。おそらく関連していると思いますし、この課題についても深化させてみたいですね。