観察者中心座標系の変異

「CODE: 私たちの時代の言語」展を観たあと、同じラボのギャラリー内の常設展示にアーチャンが興味を示して、遊び始めました。
それは、等身大の着せ替えみたいなプログラムで、大きなミラーに全身が映り、手を差し出すと、3パターンのドレスのシルエットが出てきて、ミラー上で手で選びます。
するといろいろな柄や色などのパターンが表示されて同様に選ぶと、そのドレスが映っている人のボディにフィットするように着せ替えのように画像で表示されていき、気に入るパターンになるまで変えていけるシステムでした。
アーチャンの観察者中心座標系に変異があるというのは、小さい頃からの構成失効な感じの描画などから推測していましたが、今日、この着せ替えプログラムしている様子を何気に傍で見ていて、決定的な瞬間を見てしまいました。

画像を見ると、アーチャンは向かって左側のパターンを選んでいるように見えます。
私も最初そうだと思っていたのですが、何回も繰り返し気に入らない様子でやり直すのですが、思い通りにならないようでした。
アーチャン、どれを選びたいん?て聞くと、画面右側の花柄のパターンを最初から選ぼうとしているとのこと。自分ではそれを押してるのに、ならないと怒っている。
私はすぐに今起きている現象を理解しました。
アーチャンの頭の中では、観察者中心座標系(自分自身の位置や体感)と環境中心座標系
(周囲の対象物の位置や形状の認知)とのリレーションがうまくいっておらず、また、おそらく観察者中心座標系の弱さ(自己感覚の弱さ)から、環境の対象物の認知が優位なのではと。
だから自分から観た位置関係ではなく、環境の中の映っている自分を中心とした動きになってしまっているんだろうと。
これはもう15歳という年齢ですし、なかなか統合されていくのは難しいのかもしれません。
でも、そうであれば、むしろその統合の無さ、観察者中心座標系の弱さを、むしろ積極的に活かしていけないか、そんな風にも思います。
アーチャンが生まれて以降、注視しているアールブリュットのアートにも、同様に構成失効故の魅力を放つ作品がかなりの割合で見ますし、そこに狭い個人の感覚の限界を超える手懸りがあるのではと思いたい。