「ギャラリストのまなざし」展

御堂会館での母子センターPWSの会クリスマス会の後、なんばパークスに出て、山中俊広さんがコーディネーターされた「ギャラリストのまなざし」展を観に行きました。

ギャラリストのまなざし展
http://thethree.net/news/1073

入口の奥のスペースで田口美早紀さんの「小さな幸せ”カールもどき”をつくろう!」ワークショップされていたので、妻子が参加しました。
指置きみたいな、お菓子のカールみたいなのを自分の好きな形にフェルトを縫って綿を詰めて作ります。
アーチャンは縫うのは時間掛かるので、田口さんやボランティアの学生さんが丁寧なサポートしてくださり、最後はカーチャンが仕上ました。ほぼテーマ無視して自分の好きなネコを作りました。

カーチャンは見本の感じでカールもどきのような蛇のようなの作りました。

丁寧なサポート、感謝です。

それから会場の作品を一緒に見て廻りました。
前2回の大阪芸大さんの「美の冒険者たち」のプログラムは山中さんが選んだ大阪芸大出身のアーティストさんによる企画展でしたが、今回は山中さんが、若いアートマネージメントに携わるギャラリスト達を6名選ばれて、彼らが推薦するアーティストによる展示となっていました。
それ故に単純に作品のみを見て楽しみ、また分析するというレベルと並行して、アーティストとギャラリストの関係や役割みたいなものも、テーマとなっていました。
私も含めてアートマネージメントの役割について普段、意識して見る事はほとんど無いと思われますし今回の展示でも、そういう主旨で見るのは、アート関係者や専門家だけなのかもしれませんが、でもこうして一般の観客も来るであろうポピュラーな場所で展覧会を開催しメディア等でその主旨をPRしていくことは、その機会が少ないだけに、貴重な試みになっていると感じました。
先週、山中さんのthe three konohanaで、岡本啓展のギャラリストトーク拝聴したところだったので、その意味をより意識することが出来ました。

岡本啓ギャラリストトーク
http://thethree.net/news/1122

今回のなんばパークスの会場で直接、参加されているギャラリストの方と交流することはありませんでしたが、今まであまり意識してこなかったような視点でアート作品を「見ようとしている」自分に気付きますね。
近い感覚として、信濃橋画廊がまだあった頃に毎年開催されていたギャレリズムという展覧会(関西の主な画廊が集い、現代美術センターなどで開催されていました)のことを思い出しましたが、ギャレリズムはどちらかと言えば関西独特の先鋭的な企画も行なう貸画廊がメインのような印象があるので、異なる主旨であるのかもしれません。
アートマネージメントというジャンルの重要性は今後ますます必要とされていくでしょうし、単純にビジネスだけでなく、アートの持つちからを広く伝えていく役割も要請されるでしょうから、貴重な企画になっていると感じました。
今回知りえた様々なアートスペースへまた伺ってみて、いろいろと学びたいなと思う。自分自身のもうどうしようもなく古い思考スタイルやイメージに新しいエネルギーを注ぐ為にも学び感じたいですね。

会場アンケートで印象的だったアーティストやギャラリストについての質疑の項があったので、the third gallery Ayaのブースの、多田ユウコさんの「山遊鹿々人々図」と、Kobe 819 Galleryのブースの山下智史さんの「biwako series-delight」を選んで書き込みました。
アンケートには書き込みませんでしたが、TEZUKAYAMA GALLERYのブースのノモトヒロヒトさんの「Facade2-Pachinko-」も印象的でした。
多田ユウコさんの「山遊鹿々人々図」を見ていて、私は奈良公園の都市のランドスケープの中にあんな大型動物が共生している姿がいつ行っても見ることができるし、奇跡のような場所と思っているし、興味持っていたので、同様の意識で見ているアーティストの存在を知る事ができて嬉しいですね。
奈良の鹿自体も明治維新の時、それまでの圧政に対する反発からターゲットにされ絶滅寸前まで数が減ったらしく、そのいきさつはいろいろな著作にも取上げられているので、興味深いところです。
映像の微妙な合成の感覚もユニーク。個人的には奈良公園の人口的な環境と鹿と歴史的資産とが等価に存在する光景の表現を観てみたいですね。
明治維新の時の鹿虐待の話、当方のブログ記録参照ください。

オレたちシカをなめるなよ!
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20101029/memo

山下智史さんの「biwako series-delight」は、解説では子供さんが生まれた直後の幸福感に満ちた精神状態での作品とありました。琵琶湖の水面の煌き感がその幸福感を伝えてくれます。
私は心の師匠でもある彫刻家の福岡道雄さんの黒い波のポリエステルのオブジェを連想していました。おそらくそのような幸福感とは対極的な思索的な静寂感というのか、福岡さん独特の屈折したこころの有り様が感じられる彫刻群。
山下さんの写真の場合、四角くトリミングされた青い煌く波の画像と共に、作品のマットの下側に細くスリット状に切られたタイトル部分とが一体になって、波の揺らぎが表情のある「顔」のように感じられました。波が実は福岡さんの黒いオブジェのようなある種の無意識世界の現われであり、トリミングされ下塗りのようなデッドカラーリングのようになっていて、顔のトリミングによって安定を得ているようなイメージがありました(お隣のDMOARTSさんのブースの鍛冶本武志さんの「ゆれる想い」のシルエット人間のデカルコマニーな方法で描かれたデッドカラーリングの表現と繋がっているように見えました)
TEZUKAYAMA GALLERYのブースのノモトヒロヒトさんの「Facade2-Pachinko-」は、廃墟と化したパチンコ屋の店舗のファサード(正面の立面像)を歪み無く写して巨大なパネルにしている。歪みの無いファサードから、一瞬、ベッヒャー夫妻の類型的なタンクや工場群の作品を連想するけれど、表現の巨大さが、細部に視点を注目させ、類型的なパターン化の思考から逃れているようで面白いなと感じました。
それから、ワークショップでお世話になった田口美早紀さんのユニークなキャラクター達の世界も良いですね。笑えるランドスケープは私にとってもライフテーマのように感じる。