福岡道雄展

アーチャンお迎えの帰路、雨が強く降るし、少し寄り道。
なんばで降りて、土曜日閉まっていて観れなかった、ギャラリーほそかわの「福岡道雄展」観てきました。

ギャラリーほそかわ「福岡道雄展」
http://www.galleryhosokawa.com/

1960年代の初期の彫刻やドローイングの展示でした。
福岡さんは1936年生まれだから、20代前半の頃の作品。
以前、信濃橋画廊での回顧展で、同様のオブジェ拝見していましたが、先日の兵庫県立美術館での平田洋一さんとのトークショーで、それらが福岡さんが日々拾った廃棄物(木の枝などが主なので、廃棄物というくくりも微妙ですが)を接着していったものと知ったので、改めて、最近考えている廃棄物アートとして見直す機会となりました。

初期の廃棄物アートの代表的な作家、ルイーズ・ネヴェルソン(廃棄物アートの代表的なて、と言うより私はこの人しか知らん)が最初に...注目を集めたのが1958年の展覧会『Moon Garden + One』らしいので、その時代の空気がそのような環境彫刻的なものを産んだのかもしれません。
ネヴェルソンの作品は、ひらってきた家具の断片などを、黒く塗りつぶし、イメージを一元化してから、箱に組上げている。
福岡さんの廃棄物アートも、明確に着色はされていませんでしたが、接着剤のような少し気持ちの悪い感じのものがベタベタと表面に塗られていて、色もくすんだ黄土色のように。
でも、よくこんな脆弱な作品コレクションして残していてくれたものだと、思う。
福岡さんの初期のパブリック彫刻のいくつかは、例えば庁舎の中庭の地面にセメントで作られたものなどは、庁舎改修の際にあっけなく廃棄されたり酷い扱いを受けたりしているらしいし。

最近の廃棄物アートのアーティスト達、これも淀川テクニックしか知りませんが(今日のお昼に、TVの笑っていいともに出演していましたね。自転車のチヌの目がBMWのエンブレムで、ドUPに(笑)誰や淀川に捨てたん)彼らの作り方は、素材としての廃棄物は、そのまま表徴は消さないで使っている点が大きく異なっていますね。

表面を消してしまうことと、そのまま残して、それが何であるか明示することとの間には大きな差があると感じる。そのことについては、時間を掛けて考えてみたい。

反骨精神の塊のような、福岡道雄さんの作品に最初に触れたのが、今は無き堂島の竹中ホールにあった、府民ギャラリーでの1979年1月の回顧展だった。

国立国際美術館あたりで、大回顧展やって欲しいな。もっと見る