塚本亮太「TOUGH」展

アーチャンの放課後見ていただいている今池子供の家さんが今日はお休みで、カーチャンも障害者会館の美術教室の講師の仕事で夕方まで帰ってこないので、アーチャンと帰路、西九条の梅香堂へ行きました。

梅香堂 塚本亮太「TOUGH」展
http://www.baikado.org/

梅香堂さんのHPの詳細なパンフレットの画像を見ていて、作品の雰囲気が最近の私の気持ちにとても近いというのか、不思議な感情が湧いてきて見に行きたいなと。
一つは、ぼやけた顔画像の真中に縦に彩色された不定形の薄い板が丁番で止められていて、パタパタ動く仕掛けになっている作品。
もう一つがベッドから起きた時の掛け布団や枕などの定点観測画像とそのシルエットをなぞった作品。
最近、わたしが西成区のあそぼパークprojectさんから依頼を受けて、始めたワークショップのアイデアとしてまとめた「こども原器」のイメージにとても近いものがありました。
ワークショップの依頼を受けた時、そんな屋外で不特定多数の初対面の人や子供相手のやりとりなんて経験ないし、どうしたら良いのか迷いました。
サポートスタッフとして参加した旗作りに際に、曇り空から一瞬のぞいた太陽の光と、生じたこども達の影が美しく、すぐにそのアウトラインを刷毛でペンキでなぞることを反射神経的に実行したことが、次のアイデアを産みました。そこに集った見知らぬ人たちの影のシルエットラインの集積から、その場所に関る由緒などのワード手掛かりに、ラインを再度なぞり、新たなイメージが生まれないかと。
でもずっと曇り空のままだったら、何も起きないし、出会いのきっかけもうまく作ることができないなと、思い直し、天候に左右されなくて、その場に初対面の集った不特定多数の人や子供との出会いのきっかけがスムーズにいく方法はないだろうかと、考えた。
それで、顔の中心線を柔らかい針金でシルエットをなぞる事を試してみて、いくつかシュミレーションして、針金の長さが1mだったところから、デュシャンのメートル原器に対するアイロニーとしての「三つの停止原器」を手掛かりに「こども原器」として、まとめて、実際に公園でのワークショップでやってみた。
ブログの記録

にしなりあそぼパークin天下茶屋公園
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130224/artanart

塚本亮太さんの作品の場合、対象が自分自身の起床時の寝床のアウトラインであったり、雑誌のモデルたちの顔をピンボケでコピーしたり、夜の車のテールランプであったりと、外部とのコミュニケーションへと開かれておらず、梅香堂の後々田さんが「孤独」とか「寂しい」と言われる雰囲気になっている。
後々田さんから、塚本さんがここで個展を開催されるに至った経緯をお聞きしたけれど、ここで、こうして開かれた場所で個展をすることで、外部とのコミュニケーションへと向かわれるのか、もしくはそのような回路を特に必要と思われていないのか、分かりませんが、「顔」的なものへのこだわりは、果ても無い世界との対話の始まりと思えるし、アートが作家自身を救済するかと言えば、むしろより混迷へと向かわせるベクトルになる可能性もあるし、分岐点のような、とても不安定な、それ故に魅力的な作品群と感じる。