「歩く男」展

此花区の此花メヂアとthe three konohanaを観たのちに、難波に移動して、CASさんの「歩く男」展へ。

「歩く男」展
http://cas.or.jp/index.shtml

3名のアーティストのうち、林勇気さんが居られ、お話も聞けました。
空間の移動によって、ある領域から次の領域に移る時(街路から建物へ、建物から、個室へ、個室から人、人から人の持ち物などへ)、そのポンと切り替わる瞬間の表現は、リアルな映像や3D的なアニメーション、もしくは文字や記号が伝わり易いが、林さんの小さいモニターの作品のような、1次元の線から、二次元の面と、その延長の2.5Dくらいの表現はあまり観た事無いし、表現も難しいと感じるから、とても新しい表現と感じました。

奥の部屋の山村幸則さんは、先日拝見した山中俊広さんキュレーターされた「ボーダーレスのゆくえ」展に出展されていたこと思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130321/art
なんと黒い和牛の子牛を台車に乗せて町を徘徊する姿を撮影するというドキュメント。
幼稚園の頃住んでいた田舎の家は、親戚の兼業農家の家で、爺さんが趣味で牛飼ってたから、その頃の記憶が蘇りました。
作者の意図は不明ですね。映像と、牛を乗せていた台車、おそらく台車に敷いていたキャンバスについた子牛の足跡をドローイングのようにまとめたもの、子牛のスケッチ数点など。
以前、京都国立近代美術館で観た「生存のエシックス」展に展示されていた、テンプル・グランディン(Temple Grandin)さん考案の自閉症の人の為のハグ・マシンを連想。(自身も自閉症の動物学者であるテンプル・グランディンが、屠殺場で牛を安心させる装置にヒントを得て、自身を落ち着かせる装置として開発したもの)http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20100731/art

「ボーダーレスのゆくえ」展で、山村さんがスーツに様々なオブジェを貼り付けて町を徘徊する姿も、そのスーツがある意味で、ハグ・マシン的なものであるのかと空想。
でも、テンプル・グランディンさんが、不可避な屠殺の苦しみから少しでも動物の不安を和らげようと尽力したり、自身含めた自閉症の人の、それも不安を和らげる為の装置を開発した姿とは、今回の展示は真逆のようなものに感じるし、「ボーダーレスのゆくえ」展の作品が良かっただけに、それが演出もしくは偽装でしかないのかと感じてしまい、少し残念な気持ち。