大阪府現代アート展覧会「透明な画才 進化する4つの個性」

午後、家族で堂島リバーフォーラムへ行き「透明な画才 進化する4つの個性」展を観ました。

大阪府現代アート展覧会「透明な画才 進化する4つの個性」
http://www.pref.osaka.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=9443

4名のアーティストの作品はそれぞれ素晴らしく、現代アートとして評価しうるレベルのものと感じました。
そのこととは別のこととして、障害者の就業支援として始められた大阪府の試みに、障害児の親として大きな期待を持ちますし、それ故に支援体制については厳しくチェックしてしまうところがあります。約4年前にこの試みの最初の府の懇談会の1回目に夫婦で行って傍聴させていただいた時から、個人的には期待しつつも、橋下徹知事の拙速な議論の進め方を見ていて、大丈夫だろうかという疑念がぬぐえない点があって、失敗しないだろうかという不安は当時から感じていました。
懇談会では、障害の定義について議論し始めると神学論争になるから、今回は知的障害・精神障害に限定しましょうと議長から話があり、提言もその線でまとめられていました。ところがその後具体的なコンクールとなって、応募資格は全ての障害者が対象になっていて、なおかつグランプリは1点だけという提言とは異なる主旨のものに変わっていました。
個人的にはどちらが良いかについては、それこそ神学論争になるような大きな問題を含んでいるし、良いも悪いもないのですが、しかし提言からどのようなプロセスを経て、主旨が変わったのか、議論の中身は見えません。
そして結果、グランプリ作は発表後にジブリアニメのロボット戦士のコピーであることが判明し、受賞者辞退という最悪の結果に。ただこれだけであれば、ケアレスなトラブルですが、新聞報道によれば、審査の過程で既に内部よりコピーではないかとの指摘が審査員になされていて、それを受けても審査結果を変えなかったという。記事内容が事実であるとすれば、このコンクール全体の審査結果自体がバイアスが掛かったものと見なされる。
個人的には、おそらく審査員は障害者アートにおける二次創作の可能性を審査のポイントにしようとされたのではないかと想像している。コピー作ではないかと審査途上で内部指摘受けて、著作権者に確認も無く判断変えなかったのであれば、そう理解する他に無い。そしてそうであるならば、審査員は作家生命を賭けても受賞者を守るべきではなかったのかと思う。
当時はこの件に関してネット上では、知的・精神障害者ならびにそのアートに対するバッシングに満ちていて、障害者アートの二次創作の可能性の本来の価値さえ歪めてしまうような認識を社会に与えてしまったのではないかとさえ感じました。
でもそれも曖昧なまま、結果に対する総括も無いまま、現在に至っている。
総括が無かったことが一番良くない事だと思います。
個人的には、あれから2年以上も経過しているし、府立現代美術センターも移転し、江之子島アートセンターとして春に開館するのであれば、それに合わせて2回目のコンクールを開催し、新たな才能の発掘ならびに支援方法の提示をされるべきだったのではと思う。おそらく文化予算切りまくりの橋下徹知事(当時)によって、充分な予算がつかなかったのではないだろうか。
理想論を言えば、コンクール形式と並行して専門家によって、時間を掛けて施設等を巡り、このようなコンクールなどに自発的な意思の表明を行なえないような人も含めて、隠れた才能の発掘をして、支援いただきたいと希望する。