Breaker Project 梅田哲也「小さなものが大きくみえる」

天下茶屋駅前での「あったかハートフェスティバル」に参加した後、少し歩いて阿倍野区西成区の境目くらいのところにある築60年の木造アパート福寿荘へ行きました。
Breaker Projectには、過去何度も参加させていただいたし、主催の皆さんも我家の事、アーチャンのこと覚えていてくださって、とても歓迎していただきました。それと、ワークショップでお世話になったり、先日の此花区での「見っけこのはな」でもお会いした明治大理石さんが展覧会に協力参加され会場で案内もしてくださいました、重ねて感謝です。 (画像転載許諾済)

Breaker Project 2011
梅田哲也「小さなものが大きくみえる」
http://breakerproject.net/2011/index.php?id=11100001

我家も、おそらく戦後間もなく建てられた感じの古い長屋住まいだし、仕事柄さまざまな建築物を見る機会があるし、現代アートも継続して見続けて来たので、この展示を見ても新に驚くようなインパクトは無いのだけれど、何だろうこの不思議なイメージは。
朽ちて住む人も無くなった壊れ行く木造アパートが、まるで臨終を迎えた老人もしくは屍のようでありつつ、解剖していくうちに、様々な人々の記憶が蘇り、葬儀の荘厳さと突き詰めるとこっけいであったりするような、悲しく暗い気持ちと、嬉しくなってくるような複雑な感情が湧きあがってくる。
玄関ホールの受付を経て、中廊下へ。
この木造アパートの間取り自体は中廊下を挟んで、左右に貸室があるという単純なものでしたが、しかし阿倍野特有の断層に沿って建てられていて、入ってみて初めて分るのですが、なんと断層を境に上に2階が載っていて、下階は要するに断層の擁壁が貫通している構成となっている。それも何とも形容しがたい感じで共存していて、そこに流司と調理台みたいなのが、コンクリートでグジャグジャに接続されていて、断層の保存展示と言い換えた方が適切なくらいの状況。
それぞれの部屋に梅田さんが仕掛けたアートがあり、中廊下に待機するスタッフさんが、ある程度解説や危険なところなど注意してアドバイスしてくださる。
小さな男の子達がたくさん来ていて、たぶん近所の子たちだろうと思うけれど、忍者屋敷気分で走り廻っている。
去年、大阪カンヴァスの展示で北加賀屋で古い長屋を改造して無数のフラミンゴを展示されていたのを見た時にも、近所の子ども達の溜まり場になっていて、その時の情景も思い出した。
おそらくこの子たちが大人になった時、あの時見たあのアパートの中のものはあれは何だったんだと、謎に苦しむに違いないと空想。
「小さなものが大きくみえる」というタイトルは、子供の頃に経験した場に成人してから再訪してみると、驚くほどに縮小して感じられる、あの独特の圧縮感を示唆しているのだろうか?
中央あたりの部屋の床に大きな穴が開いていて、天井からバケツが吊られていて、ポタポタと水滴が落ちている。1階のブリキの水槽でそれを受けて、その音をマイクが集音して拡大して流している。葬儀の僧侶の木魚の響きのような。1時間に一回くらいの間隔で、一気に水が流れ、バケツも降りてくるという、ちょうどその場面に1階に降りていった時に遭遇。

明治大理石さんが協力参加されて、大理石が敷き詰められた部屋に案内いただく。中に自転車が置かれ、子供が漕いでいました。発電してるのかな。

それから外から窓越しにアプローチする足場のようなスロープのようなものが小屋裏につながっている。子ども達はここから出入りしたりしている。
普通の昔のペンダント照明器具の中に、仕掛けが仕込まれていて、カチカチと動いている。そんな部屋もあります。
夜だけ泊まって見ることの出来る部屋もあり、外から50円玉越しに覗く仕掛け。
会場を出て、スタッフさんに、先々週に行った、此花区の「見っけこのはな」の事伝えると、あの周辺のアートスペースの改修を手掛けた大工さんが、ここも手掛けたらしく、なる程、何となくタッチが似ているなと。なんて言うのか、難しいですが、ある意味で積極的なアパシーさ、とも言えるような特別な感覚とも感じる。それは梅田哲也さんのアートにも共通して感じました。
それから、阿倍野の街の方へ階段を登って上がると、市立病院などが林立していて、瞬間的に光景が変わります。キューズモールに出て、クリスピークリームドーナッツのお店でクリスマススペシャルバージョンのスノーマンドーナッツをアーチャン食べたいというので、並んで食べましたが、ほんの少しの距離でこのギャップは、あらゆる面で考えさせられますね。