世界制作の方法

11月3日文化の日国立国際美術館が全館無料ということで家族と観に行きました。

世界制作の方法
http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html
国立国際美術館より引用

世界制作の方法というユニークなタイトルの展覧会ですが、インタラクティブな観客参加型の作品が一つも無くて、それは偶然なのか、美術館なりコーディネーターさんの意向なのか分りませんが、作家のイメージする世界制作の方法に観客が関ることなく、世界制作の方法をメタな視点でただ見つめているというのは、やや物足りない印象があります。
パラモデルさんのプラレールを繋げていく造型は、展示期間中公開制作で増殖し続けるようですが、しかしあくまで作るのはアーティストのみの様子でした。
唯一、展示期間中に、子供向きのワークショップされる予定の青木陵子+伊藤存のユニットも、それが展示されるのか否かも分りません。

出展作家さん9名のうち、何名かは以前に作品を既に見ていました。
見た順に記録していきます。

大西康明
昨年の「Art Court Frontier 2010 #8」の時に拝見していました。
薄い半透明なビニールを天井から黒い細い糸と溶けたプラスチックみたいなものと吊下げて、不定形な雲のような巨大な造形物にしている。今回の展覧会の各作家達の作品に、少し共通しているような透過性、それによる重なり合いのイメージというのか、単独で存在しているので無く、多様な関係性の中で浮遊しているイメージが感じられました。
以前拝見した、その時の印象のまま、同じ素材で同じ作り方。同じ事を継続しての作り方が、ずっと変わらないことも重要なことと感じますね。

パラモデル
こちらは2009年に、「パラモデリック・グラフィティatなにわ橋駅」等で拝見しています。
こちらもまったく同じ手法で変わらず。

青木陵子+伊藤存
こちらは知らない作家さん。子供向きのワークショップはタイトルが「顔が顔に会うための顔をつくる」らしく、申し込んでみようと思います。
アニメーションは視覚を刺激して、一種のEMDR的な効果を産んでいるのではと感じる事があるし、僕の中でのテーマ「顔/カオス」的世界のイメージに繋がりそうな予感もありますね。
アニメーションを見せる為の仕掛けがやや大仰すぎて、アニメーションの描画のシンプルさの魅力を消しているようで、でもその過剰さにこだわりがおそらくあるのだろうし、ワークショップに参加していろいろ聞いて見たいなと思います。

鬼頭健吾
まったく知らない作家さん。ピンクの細い布を大量に天井から吊って場を作り、多様な薄い布で場をL字に囲んでいる。薄い皮膜でまるでくつろげるリビングを作ろうとしているかのような印象。

金氏徹平
巨大なジオラマに雪に見立てた白いパウダーが全体にかかっている。雪は平等に降るから好きだ、と言った列島改造論の元首相の言葉を何故か思い出してしまった。

wxonemo
パソコンに自動検索をプログラムして、ネット上で発せられる「ゴット」という言葉を抽出してくる。やや洗脳系のような暗い部屋の設えは個人的にあまり好きではないですね。

クワクボリョウタ
こちらは、昨年、京都芸術センターでの「文化庁メディア芸術祭京都展 Japan Media Arts Festival in KYOTO」で拝見。その時の作品は、インタラクティブに観客がゲーム感覚で遊ぶ仕掛けでしたが、今回は、影絵のジオラマのようなファンタジーの世界の演出で、作品前には結界が引かれ、前回拝見したインタラクティブな感じとは真逆の雰囲気でした。これはあえて真逆のものをされているのか意図は不明ですが、走る小さな汽車からの発光で生活用品の影が都市のランドスケープに見えてくる様を見ていて、僕はギリシャ時代の哲学者のプラトンの洞窟の比喩の話を思い出していました。

半田真規 
タイルに様々な加工を施し、それを壁に整然と並べている。ただそれだけの作品。いわゆるアパシーな無関心さの感覚というのか、でもそれだけではないような。会場の地階のホールの細かなモザイクタイルを張った職人さんたちの執念のようなもの、ここへ来るたびに感じるのだけれど、そんな風に世界は誰かが何らかの目的を持って、デザインし制作したものに埋まっている。

藤純子
真っ暗な円柱上のスペースに入りしばらくすると、壁に何かが浮かび上がって見えてくる。どうやら壁に蓄光剤のようなものが塗られていて、定期的に光が点いて蓄えられていく様子。