グループ展『Go forward』

長居公園大阪市立自然史博物館を出て本町へ。知人の小谷廣代さんが経営するカフェ&ギャラリーのシェ・ドゥーヴルへ行き、グループ展『Go forward』を見ました。絵画とアニメーションのコラボ展。
まったく知らない若い作家さん達でしたが、在廊されていて少しお話も出来ました。共鳴できるところがたくさんあり、最近のアートの傾向に僕が個人的に感じる欲望のような欲動のようなものへの違和感に対して、彼らの意識もしくは無意識的なイメージは、穏やかなものであり愛を感じるものでした。

グループ展『Go forward』
荘明暉(Meiki.sou)http://www.cobin.jp/
みやざきひでき http://3pachi.com/

荘明暉(Meiki.sou)さんの絵画は、会場へ来る前に自然史博物館で「OCEAN! 海はモンスターでいっぱい」展を見て、モンスターたちのユニークな顔のこと、顔がある事の意味の大きさ(及び顔を持たない、失う事の意味も)について、考えていたし、自分自身でも今までずっとものを作る時に「顔/カオス」的という基本コンセプトをイメージしてきたので、共感するところがたくさんありました。
会場右手の壁に掛けられていた、横長の絵画は、断片的に描かれた様々なシンボルを、自由曲線もしくは、ランドスケープのアウトラインの切れ端のようなもので、つながれて、穏やかでかつ強い世界を描いている。これを大きく拡大して壁画としても成立する強度があるし、部分的に切り出して微細なイメージの欠片としても同じく成立するように思う。
人間的能力の限界として、獲得することのない、全体像のようなもの、それが得られないとしても不安では無い、そのようなイメージを描くこと、それは決して無駄な徒労では無い。

みやざきひできさんのアニメーションは、音楽とともに穏やかで愛に溢れた世界が描かれている。
僕のアニメーションへの興味は、描かれた作品世界と同時に、動画による眼球運動を促すところ、そのことによるある意味でのEMDR的なセラピー効果。(もちろんEMDRは精神科医療の専門家でなければ行なえない医療行為だし、簡単に論ずる事はできないけれど、EMDRの発見者が、眼球運動によるトラウマの解消効果に、自ら気づくまで、分析し公表するまで、それは当然多くの人に自然に生じていた事だし、それ自体考える事は許される事だろうと思う)
過去の自分が作っていたものを振り返ると、「眼球運動に伴う心の安定」を無意識のうちにテーマにしていたように感じる。それは娘の療育や行動療法について学んできた過程で知った、EMDR的なセラピーにもつながるような方法であった。人の視覚認知は、眼球の飛び飛びの動きをつなげていって、滑らかなイメージを獲得できているように感じられ、それをアートとして、緩慢な動きとして描くことではなかったかと。
みやざきひできさんのアニメーションの、水の底から魚達が回遊する姿を見る視線は印象的でした。

EMDR(イーエムディーアール、Eye Movement Desensitization and Reprocessing;眼球運動による脱感作および再処理法)
http://ja.wikipedia.org/wiki/EMDR
ウィッキペディアより引用

彼らの作品とそれをつなぐ音楽を聴いていて、僕の好きな中原中也の詩を思い出した。(中原中也の詩は著作権切れているので、「青空文庫」で読めます)
僕はその中の「むなしさ」という詩が好きですね。海岸線という一次元と2次元の中間体から、薔薇という二次元平面の花弁を集合させてできる3次元の立体に移り、最後に「偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも」という不思議な3次元と4次元立体の中間のような表現で終わる、空間の循環詩とも言える。

在りし日の歌
作品名読み: ありしひのうた
著者名: 中原 中也 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000026/card219.html
青空文庫より
http://www.aozora.gr.jp/index.html

むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造化の花瓣(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ