Hommage à Marcel Duchamp / デュシャンへのオマージュ

知人のシェ・ドゥーヴルの小谷廣代さんから、隣のinframinceさんでのデュシャンをテーマとした展覧会とトークイベントの情報教えていただいたので、伺う。(シェ・ドゥーヴルさんも協賛)
2004年の国立国際美術館の柿落としのデュシャン展で、それまであまり興味の無かったデュシャンの事を知ることが出来たし、その展覧会を美術館研究員として企画された平芳幸浩さんのトークショーという事で、当時気になっていたことも質疑応答の中でお聞きしてみました。

space_inframince approaches 07
Hommage à Marcel Duchamp/デュシャンへのオマージュ
http://inframince.jp/#
2011.7.14(木)〜7.30(土)
7.24(日)のみ定休
OPEN 17:00〜21:00

inframinceという言葉自体、デュシャンの造語であるらしい。死後発見された制作ノートに記されていた造語をデュシャン自身は公表するつもりも無かったようですが、その意味するところは、極薄(インフラ=下方の+マンス=薄い)とされるが、世界の見方を変えるような微細な差異を示すものではないかと(鋳型を使った大量生産品であっても、AとA´とでは差異があるとするような)
ギャラリーの方の印象として、最近そのような感覚の微差を意識したアーティストが突如たくさん現われてきた印象があるという。
今回の展覧会の作家たちや、今日パフォーマンスされた平柳智可さん、前回ここで個展された武田晋一さんなど。
デュシャンが渡米して生涯パトロンが彼を支えたという事も有り、アメリカでの評価が高いが、日本人の、コンセプトだけではない、アンフラマンスのような微差異を感じる感性が、デュシャンへの共感を呼んでいるのではないかとの事。ヨーロッパの評価は言語的論理的なものであり、微差異的な、自己と他者、自己と世界を分ける極薄い境界としてのアンフラマンス的なものへの共感受容は少ないのではないか。
質疑
Q:国立国際美術館での展示で、初めてデュシャンのことに興味を持った。その中で、初期の作品をミニチュア化してアタッシュケースに納めた作品が、その前後において、作品のスタイルがまったく変わったように感じられたが、展示において、特に意識してレイアウトされたのか?
A:展示自体は時系列に並べたもの。実際アタッシュケースの作品を制作した以降は、デュシャンは過去の作品の編集的なことが中心になっていった。実生活もコンセプチュアルな世界から、実際の生身の人間としての皮膚的世界を感じさせるようなものへと。顔面の皮膚の病気に悩むなどまた、アタッシュケースの作品の一つを愛人にプレゼントしているが、自分の精液でカンバスに描いたものを添えたりと生々しい。

2004年の国立国際美術館でのデュシャン展の感想で、僕はシーザーペリさん設計の美術館が、デュシャン的世界にとてもよく合っていると感じたし、一部今日のトークショーで語られたようなアンフラマンス=さまざまな境界の薄さ=世界の見方を変える、につながるようなこと記述していたので、改めて再録。

地下では人は無意識の領域に近づくのか、地下街やデパ地下の食品売り場の強烈な欲望の消費空間が、そこにはあり、物と人、人と人を融着させるような、意識の領域が薄くなっているような感じがします。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20041120/art