堀尾貞治+現場芸術集団「空気」あたりまえのこと(同時空間四角連動)

音遊びの会さんのワークショップに参加して、会場の旧神戸生糸検査所のあちこちの小部屋内で、展覧会というのか公開制作みたいな感じのイベント開催されていて、ワークショップの前後に見てきました。
堀尾貞治さんとは一度だけずいぶん前に、1986年頃に僕が信濃橋画廊で個展した時に、ふらりと会場に来られて少しお話をしただけですが、その後、分厚いプロフィールの資料を送付していただいて、いずれお礼をと思いつつ、何年も経ってしまいました。
個人的には「サラリーマンアーティストの鏡」と敬愛しています。堀尾さん達の過去の活動の積み重ねがあったからこそ、現在の現代アートの社会への広がりもあったんだと思います。
2005年6月に天音堂さんから教えていただいて、gallery Moguri rooM(たぶんここはもう無いと思う)での堀尾貞治展「あたりまえのこと(LINE)」見た時にギャラリーの方から、堀尾さんは年間100回くらい個展されていると聞いて、そのペースにびっくりした事があり、今でもそんなハイペースでされているのか、今日も御不在で聞けませんでしたが、あいかわらずの、非美術的な、散逸してしまいそうな物たちに溢れたアートがありました。
堀尾さんの所属されていた、具体美術協会に対しての個人的なイメージは、「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」というまわりくどいものですが、このような方法論に人が一旦魅了されると、なかなか抜け出せない、麻薬のような物ではないか?という直観的な理解が僕の中にあり、その理解の延長上に、堀尾さんの作品理解があったのですが、会場でのイメージは少し異なっていて、建物や現場に置かれた、もともとあった機械類に寄生するかのように、湧いて出てきていました。