公募 京都芸術センター2010

療育に行く前に、烏丸で降りて、京都芸術センターへ行きました。126件の応募から審査員の映画監督の河瀬直美氏が選んだ2つの展示プランにもとづく展覧会らしい。
最初にギャラリー南:森川穣「確かなこと」を見て、次にギャラリー北:寺島みどり「見えていた風景 - 記憶の森-」を見ました。

森川穣さんの「確かなこと」は、展示室に入った最初は、壁に目の高さより少し低いくらいの位置に、太い黒い水平のラインが描かれているように見えました。会場では美術館の係員さんが10名くらいの観客グループに作品解説のガイドをされていたので、入り難くて少し引いた位置で待っていたのですが、そうすると、椅子に座っておられた会場の監視役の方がこちらに来られて、そこを覗いてみて下さい、何かが見えますよとアドバイスくださいました。アーチャンは背が届かないのですが、会場に階段状の踏み台が用意されていて、それをお借りしてアーチャンも不思議そうに覗いています。
最初太い線にしか見えなかったものが、覗いてみると、線ではなく壁に開けられたスリットで、中には何かカビ臭い、ホコリっぽいものが溜まっていました。監視役の方のお話では、この美術館の床下にあったガレキらしい。アーチャン黄色い傘発見して教えてくれます。
僕は一見すると自然な外形をしていて、近づいてよく見ると気持ちの悪いようなイメージがとても好きなので、この作品もそのイメージを制作の意図とされているのではと思いながら眺めていました。僕のそのようなイメージの原体験は子供の頃に、公園で遊んでいて、大きな蛇を見つけた時に、ビックリしてでも子供の好奇心から近づいていくと、ぴくぴく動いているのですが、でも逃げたり襲ってきたりはしなくて、変やなと思ってよくよく見ると、死んでいて、ぴくぴく動いているのは蛇ではなく、蛇の胎内を食い尽くしていた蛆虫の大群の動きでした。トラウマというのか、時々思い出しますね。今日も何となく連想してしまいました。
ただ、線に感じられた物が近づいていくと実はスリットで、中にガレキがあるという事に気付くという、その切り替わりの瞬間が、この作品の最大のポイントであり、魅力でしょうから、会場の監視役の方は、いたれり尽くせりで好感の持てる方だったのですが、やや世話焼きすぎかなとも思いますね。映画のラストを教えていただかなくても。
アーティストのイメージする「確かなこと」がどんなものなのか、よくは分かりませんが、「確かなこと」無しでも不安でもなく、作り続けることが可能な世界を思い描かれているのか、「確かなこと」を感じることを指向してのことなのか。

それから寺島みどりさんの「見えていた風景 - 記憶の森-」の展示室へ。ここにも先程のガイドの男性が作品解説をされている最中。観客からは特に質疑も無く重い雰囲気のまま展示室を出ていかれました。
こちらは会期中ずっとアーティストさんが展示室の壁全面に張られたキャンバスに絵を描きつづける企画らしい。さっきのグループも、たぶんそこを見たくて集合されたのだろうと空想。
四角い展示室全面に描かれているので、観客は作品に包まれて、絵画の全体像は知覚できなくて、常に断片化していく仕掛けの様子。会期中ずっと作品のイメージは変化していき、最終日に白く塗りつぶされる予定らしい。
パンフレットを後で読むと、「まるごと生け捕り」したような制作展示をイメージされているらしい。まるごと、という部分が気になりますね。会場の扉の部分はキャンバスが張れない為か絵画は扉部分で切断されていて、作者の意図なのか分かりませんが、展示室入ってすぐくらいの場所では、ほぼ全体像が把握できてしまう。壁とか床とか天井とか扉とか位置や機能に従い過ぎな印象が否めませんでした。
僕は少し前に国立国際美術館で見た、エミリー・ウングワレー展のことを思い出しました。エミリー・カーメ・ウングワレーさんのように、巨大なキャンバスを床に直に置いて描く時に、おそらく知覚的には自分がどのような全体像を描いているのかはつかめないに違いないと思う。
この展示でもし床にも天井にも描いていたらと空想。

公募 京都芸術センター2010
2010年2月5日(金)−2月24日(水)
10:00−20:00 会期中無休・入場無料
http://www.kac.or.jp/bi/191