『明るい無常観-LIGHT TRANSIENCE-』

療育にいく前に見てきました。

『明るい無常観-LIGHT TRANSIENCE-』
http://www.kac.or.jp//exhibition/light_transience.html
京都芸術センターのホームページより

二組のアーティストさんのうち、淀川テクニックさんは、少し前に無くなった道頓堀のキリンプラザでの2005年頃の展覧会で拝見した記憶がありますが、もう一組の、金子良/のびアニキさんは、まったく知らない方でした。展覧会のタイトルは難解ですね。
淀川テクニックさんの作品含めて、最近共通したテイストというのか、気になったグループの考え方と似たようなものを感じますね。

例えば、grafさんのワークショップで知り合ったVintage Plant(植物の交換の場のような、その植物との関わりや個人的な由来を記録して共に手渡してつなげていくようなプロジェクト)
かえっこ(子供のおもちゃの交換の場のような、おもちゃ以外のお手伝いなども点数化されていくユニークなコミュニケーションの場作りのプロジェクト)
などなど、他にもいろいろあると思う。

僕も、アートに限らないけれど、そのものの由来、どちらかと言えばどうやってこの場にたどり着いたのか、知りたいというか、仮留めで良いから一旦固定しておきたいという気持ちが働きますね。ピュアアートに最初に出会った、とても幸運な出会いと思いますが、僕の心の師である福岡道雄さんの展覧会で、僕は今から思えば赤面ものですが、何も知らない物の強みで、「この材料は何ですか?」とか「それはどこで手に入れたのですか?」「それはどう加工するのですか?」など、延々とお聞きしたように思う。その物質がよって来る由来を仮留めで良いから固定したいという衝動みたいなもの。
淀川テクニックさんの作品を観ていても、同じような感覚を感じるところがありますね。使う材料は全て廃棄物で、特にキリンプラザで観た展示は、お名前のとおり、淀川河川敷の廃棄物ばかりであった。無名な事物に、淀川河川敷の廃棄物というくくりを与える事で、仮留めのような固定をする。キリンプラザの時は、より強調するように、廃棄物はぞのままに有用性を与えないで、ビニールにパックして、コンビニの商品のようにラベル打ちして販売していた。今回の京都での展示では、少し違っていて、廃棄物の自転車や足こぎスクーターに魚やシャチホコのデコレーションし、実際走るところの映像を流して、若干の有用性が与えられている感じがありますね。それらは、仮留めのような固定を再度消し去り有用性の中へ戻していく、仮留めの固定の意識を忘却するような手続きをしているのかもしれないですね。
同じように廃棄物ばかりを扱った作家の、ネヴェルソンの、一旦全て黒く塗りつぶして、過去の由来を消し去り、よって来る出来事を忘却するような方法の作品を、僕は思い出した。