京都芸術センター2009:井上唯「虚空に浮かぶ月」/clipper「アウトライン〜電車編」

アーチャンの療育に行く前に寄ってきました。このところアーチャンのことに関連して自己描像と感覚とがかみ合わないことによる不安のようなことや、そのこととつながるのか、重なり図や透視図法的な焦点を持つ絵が描けない、すなわち観察者中心座標系の視覚認知に変異があるのでは、ということについて考えていて、いくつかの演劇的な表現を集中して観ていました。その一つが平田オリザさんの脚本によるロボット演劇の試みで、もう一つが、大阪府立現代美術センターでのcontact Gonzoというグループのやや暴力的とも言える接触系のパフォーマンスでした。
今日の、この公募展の審査員が平田オリザさん一人だけということと、選ばれた二つの作品が、平田オリザさんも審査評で述べられていましたが、演劇的なものを含んだイメージとなっているらしく、上のような関心を持ちつつ、見つめていました。

clipper「アウトライン〜電車編」
これはアーチャン大喜びでした。ちょうど烏丸まで阪急電車に乗ってきたところだったし、入口のところで、ラッシュ状態の乗客(のマネキン)を掻き分けて中に入るのがとても楽しかった様子。僕は展示内容まったく知らなかったし、最初入口の幕を開けた時、中で何かパフォーマンスしていて、満員で入れないんだと思いました。でも次の瞬間、中に入っていく人と周囲の人=マネキンの乗客とが違うぞということに気付いて、それで改めて入ろうとすると、アーチャン一緒に手をつないで入りたいと言うので、少し戻り今度は黒幕を明けないで、そのまま手で押して入ろうとして、手に明らかにマネキンとは違う感触があり、ドキッとして、あ人や、と思い、あわてて幕をもう一度開けるとでもマネキンばかりで、実際1秒も掛かっていないくらい短い瞬間でしたが、とても不思議な経験でした。これも自己描像と感覚とがかみ合わないことのひとつの状態だなと、人の感覚はとても揺らぎやすく、弱いものだと改めて思いました。これが例えばアーチャンの場合、どうなのか分かりませんが、もしそのかみ合わなさが日常頻繁に生じていると、とても不安なものだろうと想像できますね。中に入ると正直言ってステレオタイプな内容とも感じますし、どうせなら隙間無く身動き取れないような充填の仕方にすれば良いのにと勝手に思いましたが、でも最初のほんの一瞬の感覚が、実は作者達のねらいであるとすると恐ろしい人達と言えますね。

井上唯「虚空に浮かぶ月」
最初のclipperさんの展示も暗い部屋の中でしたが、こちらもさらに真っ暗な部屋で、僕はこういった展示を洗脳系と勝手に呼んでいて、あまり好きではありません。でも展示場の係員の方がわざわざ小さな懐中電灯を持って、中に入ってしばらくすれば目が慣れてきますから、とか足元気をつけてくださいねとか、懇切丁寧にいろいろと案内していただいているうちに、作品よりも、この方は一日中、こうしてこんな暗い部屋でいつ来るともしれない観客をじっと待っているのか?と思うと、何だかせつないようなおかしいような不思議な気分になりました。
床全面に敷き詰められた細かな砂が、部屋の中央でマウンドのように少し高くなって、鳴き砂のようには鳴りませんが、サクサクと進むと、そこを囲むように円柱状に織られた布が囲んでいます。そこを出入できるようになっていて、ここもアーチャンと手を繋いでぐるぐる廻りました。視覚をある程度奪われると本能的に動くのか、陸上トラックを廻るように反時計回りに辿っていき、先の係員さんのところで御礼を述べて出て行きました。ひょっとしてこの方の案内自体作品の一部なのか?と空想。

公募 京都芸術センター2009:井上唯「虚空に浮かぶ月」/clipper「アウトライン〜電車編」
会期: 2009年2月2日(月)−2月22日(日)
     10:00−20:00 会期中無休・入場無料
会場: ギャラリー北・南
     北: 井上唯「虚空に浮かぶ月」
     南: clipper「アウトライン〜電車編」
主催:京都芸術センター
http://www.kac.or.jp/exhibition/kobo2009expo.html