金あそぽね

午後、打合せから帰宅すると、家の前にお友達のHちゃんが居る。アーチャンと遊ぶ約束しているそうだ。カーチャンと三人で近くの公園に行きました。いつもありがとうね。
夜、自由ノート見ると、Hちゃんの似顔絵と、お友達へのメッセージが書かれていました。

「金(金曜日の意味と思われる)あそぽね」

少しずつ、文字を使ってのコミュニケーションが出来つつあり、お友達も、約束を守ってきてくれた事、とても嬉しい出来事ですね。小さな積み重ねで、言葉や文字を使う事への興味が出て、自信につながると良いですね。
Hちゃんは兄弟がたくさん居るし、アーチャンのこと、いつも気に掛けて見守ってくれているようだ。
少し前に、Hちゃんの弟に、アーチャンが絵手紙を描いて渡したとき、何が描かれているか、文字は意味がつながっていないので、「何書いてるかわからん」状態で、アーチャンが、「ピンポン、あそぼ」と玄関のチャイムを押すしぐさをすると、Hちゃんは、ていねいに、「ピンポンて、チャイム鳴らして、またお家に遊びに来てな、てアーチャン書いてるねんで」とフォローしてくれる。それでアーチャンも笑顔になり、というエピソードは、僕も良いイメージとして、残っていますね。

ドラマや、啓蒙的なドキュメントでは、言語的な能力というのか、言語的に表現する力が未熟な人への、温かいサポートや、人間関係を描く事が多いですね。
でも、現実には、最近の社会の風潮として、裁判の報道や、それに関わる弁護士や評論家達や、一般の人のblog等の発言を聞いたり、読んだりしていると、言語的なリテラシーの未熟な人は、TPOに即した言葉が出なかったりするから、誤解を受けたり、心の部分を信じてもらえなかったり、する、そんな印象がありますね。
言語優位すぎる社会は、想像力が枯渇したようなとても恐ろしいものに感じられる時がありますね。