アルマジロ人間

中谷礼仁さんのbloghttp://www.acetate-ed.net/blog/nakatani.phpで、取り上げられていて、この著作権に関する問題を知りました。基本的には中谷さんの意見に同意します。
ここで取り上げられている建築作品も、そこに登場するアルマジロ人間も、作られた建築家の方も僕はそこで初めて知りました。
事の顛末よりも、まずその内容というのか、発想自体(建築の添景としての人物表現を、まったく新しい空間概念である事を印象つける為に、半獣人を描き、布置した点)ユニークだなと思いました。

家の? (くうねるところにすむところ 子どもたちに伝えたい家の本)

家の? (くうねるところにすむところ 子どもたちに伝えたい家の本)

近代建築の巨匠達のドローイングなどを見ても、建築やランドスケープは素晴らしい表現であっても、そこに人間はむしろ、あえて描かれていなかったり、シルエットのようなものでしかなかったりします。コルビジェの印象的なモヂュロールの人体像にしても、あくまでも尺度としての人体像であって、ランドスケープの中で、息づく生活者の姿ではありませんね。
近現代の建築家の感性が、人物像や「顔」を描く事を、どちらかと言えば否定的な、消去する方向に流れているようにも感じます。それ故に、取り上げられているアルマジロ人間というユニークなキャラクターを挿入することに、率直に面白いなと感じます。
記事でのトラブルは、それが所員の発案によるキャラクターであったこと(所長からすれば、故にキャラクターも含めて在籍中に作られたものであり、法人著作物の一部であるとの認識がある)と、所員さんの退職後に出版された、建築を子供たちにやさしく解説した絵本にもアルマジロ人間が登場していて、それが事務所の所長個人の著作物とされていたことにあるようですね。裁判では、法人著作物としての主張が認められたらしく、絵本の出版差し止めは却下されたようですね。
この記事は、いろいろなことを感じさせたり、思い出したりさせてくれました。
僕も勤めていた頃、ランドスケープのプロジェクトに、できるだけそのシーンに相応しい息づいた感じの人物像を配置しようと、いろいろやりました。繰り返しやっていると発想もマンネリになるので、それで、アーティストとの協働ができないか模索もしてみました。ランドスケープを僕が描き、配置して欲しい人物のイメージを説明して、書き込んでもらうというような感じでした。これは意外と効果があり、ランドスケープも生き生きとしたものに、なっていきました。今回の記事でも、もう少しその点について、所長とスタッフ所員という関係ではなく、積極的なアーティストとのコラボレーションという意識があれば、トラブル回避という消極的な話ではなく、より創造的な形態へと発展しただろうと感じます。
裁判の意見書の中に、岡崎乾二郎という批評家の方のメッセージがあり、その中に、いわゆる組織設計事務所はイメージ図は外注する事が多く、アトリエ派の建築家は自らドローイングするところに真の価値が云々といった表現があり、個人的には、このような分け方も、これもどうかなと、思いました。
ジャンルは違いますが、ドラマでやっていた「のだめカンタービレ」の情報読んでいると、主人公の野田恵は実在のモデルさんが居て、原作者のファンの方らしく、その方のキャラクターというのか送られてきたインテリアの写真(のだめの部屋状態)に触発されて出来上がったものらしい。そして、ユニークなのは原作のマンガにも常にその方への感謝の念としてコメントが記されているらしい。そういう関係も良いなと思いますね。