展覧会のコンセプト

プラダー・ウィリー症候群の子供達のアート
(アーチャンのアートを通じて)

子供がペンを握り、スクリブル(なぐり描き)を始めた頃、とても嬉しく感じた事を思い出します。それはどの親にとっても嬉しい瞬間であると思います。

今回の展覧会への出品作を整理していて、プラダー・ウィリー症候群の子供達は、様々な障害がある為に、健常児に較べてゆっくり、ではありますが、描画から文字の獲得に到る道筋は、健常児と同じような発達の過程を辿っているのではないだろうか?と感じ始めています。

絵を描き始めてからの、変化の過程はアーチャンの描画を整理するなかで感じた分類です。

①:スクリブル(なぐり描き)
②:リアルな表現の時期
③:頭足人以前(顔だけの表現)
④:頭足人(手足は線表現)
⑤:頭足人(胴体は曖昧に表現)
⑥:頭足人から人間の姿の表現へ(シンボリックな手足の表現)
⑦:絵と文字の混在
⑧:半立体の貼り絵(二次元から三次元表現の獲得へ)
(上記の主なものを、アーチャンの事を綴ったblog日記のなかから、該当するものをピックアップして、プリントしてみました。展示作品の分類と併せて御覧下さい。)

もちろん、分類の順序で直線的に発達していくという感じではなく、少しづつ、行きつ戻りつ、同じような事を繰り返しながら、変化していくようです。そして、分類項目の混ざり合った、中間的な雰囲気のものも、たくさんあります。
作品を整理しながら、眺めていて、不思議なのは、抽象的な、シンボリックな表現である頭足人(幼児が描く、胴体が無くて頭から直接手足が付いているような表現)を描く前に、かなり視覚的に見たままの、リアルな絵を描いている事です。

これはプラダー・ウィリー症候群の子供の特徴なのか、健常児の場合も、同様なのか、分りませんが、記録として意味があるのでは、ないだろうかと思い、そのまま展示することにしました。おそらく、言語獲得の前の、動物的に外界を見たまま捉えている時期においては、描く絵も、観察された内容がそのままストレートに表現され、リアルな表現になるのでは、ないだろうかと推測します。
そして、その時期を過ぎて、短い言葉を発して、親や兄弟やお友達とコミュニケーションが可能になり始める頃には、目に見える外の世界も言葉によって、捉えるようになって、分節され、頭足人のようなユニークな表現になっていくのでは、ないかと推測します。
そして、発達が健常児に較べてゆっくりとしている事で、描画の変化も、長い期間掛けて起きているように感じますので、そこに適切に係わり、本人が楽しんで、やれるようになれば、以後の言葉や文字の獲得も、スムースにいくのではないかと思います。

アーチャンにとって、一番の刺激は、やはり保育所のお友達との絵手紙交換でした。これはお友達と絵手紙を交換するので、当然、その絵手紙は手許に残っていませんし、それをあえて、展覧会で作品という形でお見せすることも、あまり意味がないものです。そんな風にして、コミュニケーションの道具として、絵が使えて、自分の意志が相手に伝わるんだということを、本人が楽しみながら感じる事が一番良かった事と思います。
アーチャンは、たくさんの絵を毎日、描いています。それは、私達家族へのメッセージとして、直接心に響いてくるものです。ですから、それはお友達への絵手紙と同じように、交換したり、プレゼントする、自分の意志を伝える為の、切実なものですから、今回ピックアップした作品も、同じように、展覧会の作品として、展示することは、アーチャンにとっては、あまり意味がないことなのでしょう。

では、あえて今回、展示したのは何故かと言うと、やはり患者家族として、プラダーウィリー症候群という稀な疾患があることを知って欲しいという願いが発端です。

そして、アーチャンが私達家族や友人や支援者の為に、毎日描き続けた、そして、これからも描きつづけるであろう、たくさんのアートが、私達の手許を越えて、より広く社会へのメッセージとなっていくよ、という事を感じてほしいと願うところから、と思います。

今回、日本プラダー・ウィリー症候群協会の会員家族のお友達と一緒に展覧会を開くことができたのは、とても楽しい経験です。アートを通じて、いろんなパワーを放ってくれると感じます。

それから支援者の皆さんの参加、協働も喜びとなりました。アートの専門家とのコラボレーションによって、子供達の様々な可能性が導き出されることでしょう。改めて感謝致します。

2006年3月15日 アーチャンの父