シェ・ドゥーブルにて北野吉彦展を見る

知人の画廊&カフェのシェ・ドゥーブルにて北野吉彦展を見る。
ギャラリー内に3個の小さな黒いボックスが壁に取り付けてあり、お店のフロントガラスにはガラスの両面から黒いボックスが宙に浮くように取り付けてある。寡黙なミニマルな作品。
最近のアートの傾向は、アートとアニメーションの中間体のようなものが多いし、音楽CD等メディアとのコラボレーションにも乗りやすいので、特に若い作家は、キャラクター性にあふれた作品手掛ける方が多いようだ。北野氏の作品のような、冗長度の低い、構成のみの作品は作品世界を解読する手掛かりを得る為に見るものに、緊張を強いる部分もあり、転用性も低いと思われる。
20世紀のアートが、ある意味で「顔」を失う過程であったとすれば、現在はその修復の過程であると感じるところもある。そこを手掛かりに考えていけば、ミニマルアート的な表現にも、何らかの変化が要請されるであろうと思う。
北野氏の作品では、作品と見るものとの関係性が、ちょうど家具と人間の体の関係のように、しっくりと納まっている感じがして、心地良い。
画廊オーナーの小谷廣代さんと少しお話する。
互いに共通して思ったのは、空間のプログラムと物質の関係について。物質を消去していくことを狙ったデザインであったとしても、空間のプログラムが十分にほどけていなければ、かえって物質は存在を主張しはじめてしまう。装飾的な要素によって作られた空間であっても、プログラムが適切に作られていれば、物質は感覚されていても、意識の背後に消えていくと言う事ではないだろうか。装飾的に過剰な物質で作られたものであっても、一種の脱抑制のように、人間の意識を物質から遠ざけていくことは可能だろう。