オリジナルを突っ走れ〜現代美術家 嶋本昭三〜を観る

オリジナルを突っ走れ〜現代美術家 嶋本昭三
http://www.nhk.or.jp/ningen/
にんげんドキュメントのHP

眠い目をこすりながらTVを観る。地上30mから絵の具入りのビンを放り投げてキャンバスに絵を描いたり、歯ブラシの先端に極小の絵を描くプロジェクトの部分と、教育者として若い学生や社会人にアドバイスされているところ中心の構成。
以前、僕が具体美術協会の方法論に関心を持ったのは、「作品はいつ完成するのか?」「何をもって完成とするのか?」という素朴な疑問にとらわれていた頃、白髪一雄氏のロープにぶらさがって足でキャンバス上の絵の具を攪拌し描くパフォーマンス観たのがきっかけであった。嶋本昭三氏の作り方も、描くというよりも、例えるならば透明人間にペンキを投げつけるような感じの行為と感じる。ここで重要なのは結果として残された作品だけではなくて、制作のプロセスを通じて、その透明人間のような仮定の思索上の存在を、観客と共に共有するところにあると感じる。作品の完成は、ここでは、その共有がなされた時、達成されたと言えそうな感じがする。
それはモンドリアンの唱えた「事物の真のヴィジョンを獲得する為には、行為と造形的現象を共に明確にすること」という20世紀のモダニズムの結晶のような理念と通じるところもあると感じる。そして、その理念の素晴らしさと、適応の限界も同時に感じてしまう。僕の中での具体美術協会についての理解、「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」は両刃の剣のようなものだ。
番組の中で、心の悩みを抱えている社会人の女性の方が、嶋本氏のアトリエに通いながら変貌していく様や、体に墨を塗って拓本作るプロジェクトに参加されていた親子の姿はユニークで、アートは通過儀礼的なものではないけれど、自身をメタ認知する装置としてアートが機能する瞬間に立ち会っている感じがした。