中沢新一著「対称性人類学」を読む(借りる)

非常に興味深い内容。図書館で借りてきて、その期間で読み通すのは無理ですね。購入して、ゆっくり読んでみようと思う。一部引用する。

イグナシオ・マッテ・ブランコの研究
彼は無意識の本質についてつぎのような思考を展開していきました。
(無意識の原理Ⅰ)無意識はその個体が含まれる「種」または「クラス」にしか関心を示しません。つまり、ものごとが個体化していく方向にではなく、一般化していく方向に向かう強い傾向があるのです。
(無意識の原理Ⅱ)通常の科学的思考では、ものごとを分離し、矛盾を生み出す混じり合いがおきないように不均質に保つ、非対称の原理を守らなければならないと求められています。ところが、無意識は、非対称な関係をまるで対称的であるかのように扱おうとします。分裂症(中沢新一氏は、統合失調症ではなく、スキゾフレニーの訳語として、意図してこの用語を使用されている)にしめす一例では、「ジョンはピーターの父である、だからピーターはジョンの父である」というタイプの思考を進めていきます。(中略)
無意識の示すこの第二の原理を、マッテ・ブランコは「対称の原理」と呼んで、そこからいくつもの帰結をひきだそうとしました。

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

その他、無意識の世界への視線に共感する部分ありますね。以前ここで記述した「「精神の病と音楽」(阪上正巳著)を読む」http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20040212#p3のところでも、同様のことが記述されていて、無意識的世界と創造との関係について、再度考えてみたいと思います。最近こだわり感じるジャック・カロの版画の世界http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20050114#artにも、分離し得ないランドスケープと人間との深い関係と、イメージの圧縮的な部分と見ていくと、やはりそこに、無意識的な世界のつながり強く感じる。
中沢新一氏のことはよく知らなかった。辿り着くのに、回り道。最初に茂木健一郎さんと布施英利さんの対談記録で、三木成夫さんという学者さんのこと言われていて、面白そうだったので、検索すると、松岡正剛さんのHPで「生命形態学序説」というユニークな著作の書評書かれているのを発見。(「生命形態学序説」は図書館に無かったけれど、偶然にも、いつもの古本屋で発見、即購入した。非常に美しい本です。)
こういう回り道は楽しいものです。

生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ

生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0217.html
松岡正剛の千夜千冊より

そこで、寄道して、対称性人類学の紹介のところ見つけた。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0979.html

松岡正剛さんは、結論の部分で少し批判されているが、「対称性」という字義に捕らわれて誤読されている感じがするが、どうなんだろう?