スケール・エラー

僕が2階に上がってからも、アーチャンとカーチャン遊んでたようだ。テーブルの上に小さなフィギュアをオモチャの椅子に座らせて、テーブルを囲んでいる。アーチャンは自分も仲間に加わろうとして、テーブルの上に登って座ろうとしたらしい。(後でもう一度詳しく聞くと、クマのぬいぐるみに座らせようとして、何度もトライしたとのことでした)行儀の悪い子、という捉え方もできるけれど、幼児の認知過程として、以前、茂木健一郎さんが述べておられた「スケール・エラー」的な行動ではないかと思う。世界をシンボル化して捉えていく過程であるとすれば、言葉の発達も並行して、進むかもしれない。そう期待したい。
写真はそれぞれ、朝、アーチャンがパチリ。僕の手と較べると大きさが分かりますね。

茂木健一郎エッセー「脳の中の人生」第19回「なぜファンタジーに魅了されるのか」
茂木さんの日記の紹介文にある「スケール・エラー」という言葉に惹かれて拝読。
「スケール・エラー」(子供がおもちゃの車や家に入ろうとしたりする発達段階の行為の事らしい)という概念は言葉としては初めて聞くけれど、子供達の遊具や環境作りとかする時に、やはり無意識にイメージしていますね。大人の尺度だけで作られた近代的な都市が失ったのは、この「スケール・エラー」的な感性であり、フォークロアな小さな環境の良さかもしれない。

茂木健一郎さんのテキスト一部引用
「大きさの間違い」は、人間の「シンボル化の能力」の一つの表れである。動物ならば、大きさが何倍も何十倍も違う二つのものを「同じ」だと間違えることはない。人間だからこそ、実物の車に較べれば格段に小さいモデルカーを、本物の車と「等価」のシンボルと見なすことができるのである。
茂木健一郎エッセー「脳の中の人生」第19回「なぜファンタジーに魅了されるのか」
ミウリ・ウィークリー」(2004年9月19日号)http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

茂木さんが引用されていた海外の論文見ると、18ヶ月から30ヶ月くらいにみられる現象のようですね。成長すれば、そのようなスケールの混乱は無くなるんでしょうね。アーチャンは病院での発達検査では3歳半くらいと診断されましたが、実際のところは、もう少し年齢の小さい認知状態かもしれません。でもゆっくりと、認知のプロセス辿っているのは間違いないようです。

オモチャの車に乗ろうと足突っ込んでる写真可愛いです。
Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life
Judy S. DeLoache, David H. Uttal, Karl S. Rosengren
pubmed.ncbi.nlm.nih.gov