生(いき)人形と松本喜三郎展を観る

生(いき)人形と松本喜三郎展 8月25日〜10月4日
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2004/ikiningyo.html
大阪歴史博物館

生人形の制作方法の解説読むと、手足や頭部は木を彫刻し胡粉で着色しているが、胴体は針金で成型したものに着物きせているらしく、それは見世物としての軽量可搬性の為でもあったらしいが、その為に全身像として現存するものが少ないらしい。それ故に展示は頭部や手足の断片が無造作に置かれた、生々しい状態のものが多かった。アートというより見世物であったり、その後のマネキンや医学標本的な世界に広がっていったものらしく、作品制作に際してのメタな視点や主張が希薄な分、感情移入し易い感じがある。松本喜三郎の代表作の「谷汲観音像」には僕も展覧会としては始めて見るけれど、たくさんの御賽銭が奉じてあった。いろいろな仏像展なんかも観た事あるけれど、御賽銭までは観た事無かったですね。アートという括り方では捉えられない不思議な世界。ほぼ全ての像が観るものと正対せず間合いがあって、馴染み易さを演出しているところとか、ユニークでした。

松本喜三郎は、文政8年(1825)2月、熊本の井出ノ口町(現迎町)で誕生、少年期には絵師通いをして画力を磨き、青年期には地元の地蔵祭の「つくりもん」に腕をふるい、嘉永7年(1854)、喜三郎30歳の時、大坂難波新地で「異国人物人形」の活人形の見世物を行い、満員御礼に大いに自信を深めます。さらに江戸でも大評判を得、幕末の爛熟した見世物文化の寵児として活躍しました。
大阪歴史博物館のHPより

嘉永7年(1854)を年表で見ると、ペリーの黒船来航の翌年ですね。「貴族男子像」も西洋の近代彫刻とは異なり、何とも情けないポーズというのか、裸体をさらしていた。これも展示としては本当は衣服を着せる前提のようだけれど、裸体は毛一本、血管一本の細部に至るまでリアルに作り込まれていた。純粋に物を見つめるという事が出来た人だったんだろうと想像する。