「関係のなかで開かれる知的障害者・児の内的世界」田中真理著

少し前に予約しておいた知的障害者メタ認知についての本が届いたので、図書館に受け取りに行く。成長ホルモン治療をしばらく休んでいる間に、家族で考えるに際して、方向を示してもらえれば、ありがたいなと思って読んでみる。いくつか基本的な記述読んで、改めて理解が抜けていたところとか、気付く。なかなか自分達だけでは見えてこない部分はありますね。悩む日々です。
一部引用、自分自身の理解と備忘録の為。専門家向きの研究書のようで、記述はやや硬いです。

本著では、主に課題場面のなかで、知的障害児の示すパフォーマンスが変わるとき、そこにはどのような要因が関与しているかを、課題や課題提供者との関係のなかで検討していく。ある課題を介して課題遂行者である子どもと、課題提供者である関わり手が関わるとき、そこには複数の関係性が交錯していると考えられる。(中略)一般的には、これらの関係性は、関わり手にとって読み取りやすい形で子どもによって表現されることは少ない。特に一見スムーズにやり取りが行われている時には、なかなかそれぞれの関係性の重要性に気付きがたい。しかしディスコミュニケーションが生じたり、思いもよらないパフォーマンスが子どもから示されると、そのとたん子どもがおもてにあらわしたひとつのパフォーマンスの裏には、このような関係性が交錯しているのだなと気付かされる。

「関係のなかで開かれる知的障害児・者の内的世界」田中真理
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「特に一見スムーズにやり取りが行われている時には、なかなかそれぞれの関係性の重要性に気付きがたい。」という部分は、なるほどそうだなと思う。成長ホルモン注射を始めたのが1月半ばだから、約2ヶ月半、スムーズに行き過ぎて、娘が受け入れているんだと、僕達は錯覚していたのかも知れない。成長ホルモン注射に親が期待するものを、娘がそのとおり理解している訳がないし、何の為にやってるんだ、という動機つけを理解できる状態でもないんだろうな、と思う。動機付けを家族で共有することは、この年齢と理解力で実際可能なんだろうか、と原点から考えてみる必要もあるね。そうすると納得させた上で、行うという方針(眠っていて、急に動いて注射針によるケガで受け入れなくなる場合がある為らしく)、自体が、私達には難しい課題であったのかもしれないし、個人差あるだろうけれど、この年齢であれば、というか娘の場合は眠った後で注射の方がもともと良かったのか、判断難しいですね。悩みます。