【TRA-TRAVEL】展覧会のレビュー

2月から3月にかけて開催されたTRA-TRAVEL さんの二つの展覧会は、個人的に、また我家の今までやってきた障がいのある娘のアーチャンへのアートセラピー的な関りからも、強く共感するものがありました。特にYukawa-Nakayasuさんの思考や制作方法に共感と同時に、これから我家的に為していきたいと考えていた事とシンクロする部分も多く、これから進めていくちからを与えていただけたと感じます。

ですので、展覧会のレビューですが、個人的な、また我家のこれから為したい事のメモも併せて書いていきたいと思います。(どちらかと言えば、そのステイトメントになってしまうかもですがご容赦ください)
(画像転載許諾済 コ・ミラーリング展の逆さ顔の肖像画のみYukawa-Nakayasuさんからの提供画像、他は私の撮影分)


「[Co-mirroring コ・ミラーリング] -共にうつしあう-」展について
breakerproject.net


「Dear 親愛なる」(Yukawa-Nakayasu)

20代の頃の私はサラリーマンしながら、銅板画を制作し定期的に信濃橋画廊で個展をしていましたが、当時の特に現代アートに、どちらかと言えばホワイトキューブな、緊張を強いられるような雰囲気を感じていて(でも、今でも変わらず現代アートは好きですが)制作発表の場からはフェイドアウトしていました。時が経ち40歳を過ぎて障がいのある子を授かり、根本的な治療法も無く孤独に悩んでいた時期に、やはりアートのちからを再認識するようになったのですが、それは以前に知っていたアートの有り様とは大きく異なり、子供の為に参加し始めたワークショップやイベントも、同時に、むしろ私自身の視界を開いていってくれました。
今回の展覧会を主催されたBreaker Projectさんのワークショップやイベントへの過去の参加記録を検索すると2007年からと15年も前からでした。アーチャンもまだ7歳の頃、幼児用車椅子併用でしたが、少しずつ出来る事も増えてきて、外へ出掛けてワークショップに参加することに希望を感じ始めていた時期ですし、その中でも特にBreaker Projectさんの企画に、より強く共感したのは何故だろうと、今回、改めて思いましたが、やはりこの展覧会のYukawa-Nakayasuさんのテーマである「Dear 親愛なる」人や社会、地域との関係の大事さに気付かせてもらい、親密さを感じてきたが故だろうと思います。

2018年に、それまでの我家の活動をまとめた「ArtanArt/アーチャンアート」展を開催したのですが、膨大な数のワークショップへの参加記録から我家目線でセレクトすることが出来なくて、それで主催者やアーティストさんがパブリケーション的に我家を記録してくださったものに絞って展示したのですが、他者によって記録された我家の活動の痕跡を並べる事で、事後的に別の視点から自身を省みることができて、より深い交流が出来たように感じました。

「Dear 親愛なる」での三つの表現の、
(ワタシの自画像=1人称)⇔(アナタの肖像画=2人称)⇔(カレカノジョの夢=3人称)
の関係を観た時に、アーチャンアート展での、パブリケーション的に記録されている我家と記録した人達との関係を連想しました。Yukawa-Nakayasuさんのステイトメントに、「未来の親愛なる人たちに出会う術」とありますが、自己や他者の顔を描き、夢を記録する事が何故その術なのか、について具体的詳細な説明の記述は無いですが、しかし、同様にワークショップ等を介して交流した親しい人の似顔絵を描き続け、贈り続けたアーチャンの記録と、パブリケーションしてくださった人目線の記録を並べたアーチャンアート展が、アトリエインカーブ(アート制作に特化した生活介護施設)の皆さんに見て頂く機会を得て、結果、そこへ通所するようになった運命的な出会いの契機となった事を経験した我家的には、説明なしで肯定できる術であると断言すら出来る。
でもやはり、その術を深堀したいというか、客観的に伝達可能な論理化、言語化を部分的にでもしておきたいと思うようになりました。
Yukawa-Nakayasuさんに会場でもお伝えしましたが、我家のアーチャンアート展VOL02を、「贈る(顔を描くこと)」をテーマに開催したいなと考え始めていたし、展覧会によって、我家の新たな未来の親愛なる人や組織に再度出会える契機にならないだろうかという思いと同時に「顔」を描く事の深い意味や構造を考えていたので、様々なレベルでシンクロしていると感じますので、展覧会レビューを書くことで、未来の我家の展覧会のステイトメントになると良いなと思います。

20年に渡るアーチャンの子育てにおいて、最初の問題というのか、悩みは、この子は言語を獲得できるのだろうかという不安な思いでした。そして、子育てをしていくうちに分かってきたのは、顔を描くことと言語の獲得とは密接な関係があるのではないかという、アートセラピー的なかかわりを続けてきたものにとって、とても自然なサポートの可能性と希望を感じさせてくれる仕組みであり、その理解を深めてきました。

言語を獲得していく幼児の時期に特徴的に生じてくる二つの現象、「頭足人の描画」と「スケール・エラーな行動」は、ほぼ同じ時期の生後15ヶ月~30ヶ月頃に生じるとされている。「頭足人の描画」の研究にはその描画と言語の獲得についての言及は無いようですし、「スケール・エラーな行動」についてはシンボリックな思考の獲得の過程とされていますが、その二つの研究を繋げる研究は見当たらなかったのですが、繋げてみるべきと個人的に考え、描画の観察と記録をしていきました。

頭足人及びスケールエラーについての論文等のリンク

頭足人」的表現になってきた
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20040424/artanart


「鏡」から「コンテンジェンシー」へ 茂木健一郎氏講演記録を拝聴する
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20040922/p1


スケールエラーは、人生の早い段階での知覚と行動の解離の証拠を提供します
Scale errors offer evidence for a perception-action dissociation early in life
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15143286/


アーチャン再び家族の顔を描く
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20031228/p1

アーチャンの描画の観察を続けていて、一番不思議であったのは、頭足人の描画を始める前に、とても写実的な描写をした時期がごく短期間ですがあったことですね。おそらく、そのようなリアルな感覚世界を一旦、捨てる事で、言語を獲得し人間になるのではないでしょうか。そこでは、顔を含めた人体が言語化・文字化していき人間になるのだと思います。

その意味において、コ・ミラーリング展の二組による展示のうち、「Dear 親愛なる」(Yukawa-Nakayasu)が「顔」の描画にまつわる主体の問題群と無意識の領域でもある夢の世界を取り上げ、「来日」(Qenji Yoshida)が言語や文字に関わる日常的なコミュニケーションとその偶然の出会いや誤用や誤認、改変などを同時に取り上げている事は、とても重要な点だと感じました。

私のライフテーマでもある「顔/カオス」な世界は「人間/人間外(ノンヒューマン)」でもあり、スラッシュの部分が「頭足人の描画」と「スケール・エラーな行動」の閾ではないかと思います。これらの成長の跳躍の過程は時間軸からも不可逆的な過程であり、人間の能力では知ることの無い、人間外の世界へ戻る事は無いと思われる。

でも、コ・ミラーリング展を観て、こうしてレビューを書いていくうちに、本当に戻る事は不可能なのだろうかと思い始めました。特に Yukawa-Nakayasuさんの、(ワタシの自画像=1人称)⇔(アナタの肖像画=2人称)⇔(カレカノジョの夢=3人称)の表現においての、リサーチから銅板画による描画の過程や夢の記録の3人称化の過程を観ていて、最初はその手法自体に、リサーチ対象をより分かりやすく伝えやすい形にしていく、どちらかと言えばwell-madeなベクトルを感じたのですが、作品そのものを思い直すと、そのベクトルは既にリサーチ対象の相手側において生じていたものであり、アーティストによるクリエイションはむしろ、逆ベクトル的にそれを還元しているのではないかと気付きました(まさに「顔/カオス」的な様相となっている)
well-madeな分かりやすい表現が故に未知な親愛なる人に伝わるのではなく、「人間/人間外」のスラッシュの部分を閾値とせず、その中間体のような有り様に還元されているが故に、無意識的な領域へと、偶然の作用(人間と認識されたり、人間外と認識されたり、揺れる)を交えて伝わるのではないだろうかと。1点だけ逆さ顔の表現の肖像画があり、言語ともう一つのアプリオリな存在である重力という圧倒的な力に支配され人間の領域に閉じ込められた私達の感性を揺さぶるようだ。

アーチャンの言語の獲得のプロセスも、頭足人の描画のプロセスは通過して、何とか会話や簡単な文章を書くレベルにはなっているものの、様々な認知レベルでの構成失効な状態ですし、人間外の領域への還元ではなく、ナチュラルに十分に人間の側に跳躍できていない感があります。しかし、それ故なのか、描画等から伝わる世界は、おそらく人間外の領域を含んだままであり我が子含めた障がい者アートの、その切実な表現は未知な親愛なる人へと届いているのだと改めて思いました。

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(ワタシの自画像=1人称)

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(アナタの肖像画=2人称)
(逆さ顔の肖像画のみYukawa-Nakayasuさんからの提供画像)

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カレカノジョの夢=3人称)


「来日」(Qenji Yoshida)
こちらは当日のメモをそのまま転載します。

午後、家族で観に行きました。もうひとつの、Dear(Yukawa-Nakayasu)展は既に先週までに見ていましたので、こちらだけ。
商店街の中の場所を明記してあるお店が会場だと思ったので行くと、派手目なジャンバーが一杯並んでて、「これ、展示なのかな?」と思いましたが、どう見ても違う様子なので、ふりむくと、反対側の白い仮囲いに展示の案内があり、パンフ見ると、あちこちのお店に分散しての展示とそこで分かりました。
ランチを「イチノジュウニのヨン」で食べようと思ってたので、先に行く事にして、歩いていきましたが、道中、なんか気になるそぶりの青年が居てましたが、素通りして、「イチノジュウニのヨン」でランチして、お店のYさんといろいろお話しつつ、パンフを見たら、展示してる店の前を通り過ぎていました。やはりあの人、何かニコニコしてたしと。
今来た道を戻り、創作料理「思い出」とカラオケ居酒屋「ももえ」の展示を見ました。
この商店街がほぼ中国人居酒屋街みたいになりつつあることからか、中国人の方との対話を2台のモニターで文字起こしで日本語と中国語で交互に文字が表示されている作品と、日本の漫才ネタを中国の人がコピーしたものをさらにコピーした、かつ何か音声が逆回転みたいな、感じの再生の映像作品がありました。
Dear(Yukawa-Nakayasu)展が、どちらかと言えばインタビューや記録映像に基づいての地域の人の描画や、夢日記の記録のように、少し重いテーマのものであったのに対して、こちらは対照的に、とても軽いというか、アートというカテゴリーからできるだけ離れて、展示場所も賑やかなお店だし、楽しめるものとなっていました。
それから、あと1箇所の、山王訪問看護ステーションへ。
確か、釜ヶ崎芸術大学(ココルーム)の前あたりにあったよなと思いつつ行くと、前で何か売っていました。ヴィーガンの大豆で作った唐揚げで、何と1パック100円を50円で売っていて、すぐに2個注文して、展示見てから後で戻りますからと、会場を探しました。
で、探しつつ商店街をずっと行くのですが見当たらず、アーケードの端まで行っても無いので、近くのお店の人に尋ねたら、やっぱりココルームの辺りなので、戻ると、ココルームのちょうど向かいでした。今日はこんなのばっかり。
そこに、Breaker Projectのスタッフさんが来て、またQenji Yoshidaさんも来られ、やはり最初に遭遇した人でした。
中国の人名の漢字から、新しい、ひらがなを作りそれをなぞり、中国のネイティブの人に発音を習うという展示でした。
人情マガジン西成をお渡ししようと思いましたが、会場が分散してて、バタバタとまた行かれたので渡せず。
すれ違い、素通り、見間違え、これもまた作者の意図なのか、分かりませんが、街のなかでの展示ならではの経験でした。

後日追記:(言語論に対しての知識の浅さ故に、「来日」(Qenji Yoshida)展について詳細に記述する術が今は無く、とても残念に感じますし、これを機会に次なる課題として学び直したいと思います)

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「[Co-mirroring コ・ミラーリング] - 共にうつしあう-」のトークイベント
2022年3月5日(土曜)
こちらは当日のメモをそのまま転載します。

Breaker Projectの雨森さんとYukawa-Nakayasuさんは会場で、
Qenji Yoshidaさんとゲストの荒井亮さん(「知財図鑑」編集長)はオンライン参加でした。
お二人の展覧会も拝見していましたし、展覧会に至るまでのお話も伺えて理解が深まりました。
そして、雨森さんがコロナ禍においてより顕著となった、接触系/非接触系(オンラインで可能な文化活動)を明確化する主旨から、ゲストの荒井さんを呼ばれたようですが、知財図鑑の活動と、お二人のアートとの比較や参照の切れ味が鋭くて、展覧会の体験が、より厚みを増す内容になっていたと感じました。
お話を聞いているうちに様々な思いが浮かんできました。トーク終了後に会場でYukawaさんに少しお伝えしましたが、改めて記録してみます。
我家がBreaker projectさんと出会い、お世話になってもう10年以上になりますが、改めて何でこんなにも長く、ワークショップ等に通っているのだろうかと自問しました。
おそらく、私が20代に頃に活動していた現代アートの世界に感じていたような、少し緊張を強いるような、ホワイトキューブでの息詰まる、でも真摯な問いのような世界(もちろん私は今でもそのような世界は好きですが)とは異なり、今回の展覧会のテーマにもある、親愛なる、親密なものに満ちていて、気張ることなく、自由に参加できるからだと思います。
そして、Breaker Projectさんとの偶然の出会いであったり、経過を思い出すときに、少しずつ自分の記憶がデフォルメされていく(どちらかと言えば、自分の感情に従って美化されていくような、語りやすい伝えやすい話になっていく)
改めて、私はメモ魔なので、facebookに記載した記録と、自分の少しずつ変貌してきた記憶を照合すると、やはり時系列が入れ替わっていたりすることに気付きます。
Yukawaさんのお話で、今回の展示作品のうち、夢日記を地域の人達に書いてもらい、それを内容を変えずに、入れ替えて、人種やジェンダーや様々な属性に依らない三人称的な関係のひとつの夢を作ったとあり、私がBreaker Projectさんと関係を築いていくうちに起きていた記憶のデフォルメや入れ替えと同様の事を、アートのちからで夢日記の編集をされていると感じました。
そして、今日のトークで、印象的だったのは、お二人の作品に対して、知財図鑑の荒井さんが、それぞれに対応する新たなAI的なシステムを比較対照的に知財図鑑のなかからピックアップして説明されたのですが、うち、Yukawaさんの、飛田会館にあった昔の写真から描き起こされた銅板の肖像画に対して、動画の肖像権やプライバシー保護の為に、写っている人の感情面に反応しつつ、違う顔貌の映像に、フェイクとはまったく気づかないようになめらかに変えてしまうbrighter AIという技術を紹介されたところでした。紹介の主旨としては、記憶をデフォルメするということとは異なるのですが、私的には、私の記憶の無意識的な捏造を、冷たく突き放すような外部に存在する不変のアーカイブとも言えるものだったものが、容易にAIが変貌させてしまう可能性があるということで、そうすると、記憶を参照する、修正する役割のある筈のアーカイブも同時に変質してしまう世界が遠からず来てしまうのではないだろうかと空想以上にリアルなものとして感じてしまいました。
記憶もアーカイブも同時に変質してしまい、真偽の階梯が定かにならないような世界、でもそれは、不安ではなく、不動のアーカイブのある世界よりも、ひょっとすると親密な、親愛なる未知の人と出会える機会を産みやすくなる世界なのでは無いのか、既にそんな世界に生きているのだろうかと、希望を感じました


『アノ ヒダマリニテ』展
www.facebook.com


こちらも当日のメモをそのまま転載します。

人々の西方浄土への信仰やその歴史にアートを媒介にして寄り添うような表現に、私は7年前に観た、Breaker Projectさんの企画でBreakerさんの事務所がまだ福寿荘にあった頃の、パラモデルさんの、四天王寺を舞台とする能楽謡曲『弱法師』とその主人公・俊徳丸少年へのリサーチをもとにしたプロジェクト『レジデンス・パラ陽ヶ丘(仮)』 展を思い出していました。
『弱法師』の物語もとても切ないものでしたが、今日の『アノ ヒダマリニテ』展は、人々の実際に営まれた信仰上の行為とその物象化に寄り添うものだったし、現在にまで続くリアルな事だけに、その表現に取り組まれる姿勢と作品制作は、苦行とも感じるものですが、志向は明快で、アートのちからを感じさせました。
葭村 太一さんの木彫と、Yukawa Nakayasuさんの銅板原板と様々なメディア用いた展示。
個人的な仕訳として、立体物はリアリティな、感覚的にノンフィクションなものであり、平面絵画はフィクションであり文字や言語に近い存在と感じていますが、その中間体としてレリーフ(半立体)があり、フィクションとノンフィクションの混ざりあった状態のものと感じていて、今日のお二人の協働も、そのような中間体のようなものへの志向が感じられました。
朽ちて首の消失した石仏を木彫で再現し、その首に日の出を感じてもらおうと(西方へ置かれているので、日の出を観る事が無いから)街中を巡礼する映像も流されている。
人体は有限の大きさを持ち、リアリティそのものですが、文字や言語に近い性質(スケールに非依存でどんなに縮小しても拡大しても、また細かく切断していっても文字性を失わないように)も併せ持つと感じていますし、それが仏像のかつレリーフとなり、絵画に近づくことでより言語化、文字化していく。
人々の信仰への切ない思いは、何気ない日常の営みへの願いであり、物象化そしてその言語化、文字化が不安を支え安定に向かう、その循環構造のメタ化がアートの苦行的クリエイションによって為されているところに強いシンパシーを感じました。
追記
葭村さんの作品は、Super Studio Kitakagayaのオープンアトリエで、昨年、既に拝見していました。

そこに「葭村太一さんは、木彫のユニークな作品群を制作されていました。
自己の人体が樹木から掘り出されていくような作品や、彫る事で木目が不可避に変化していく様に、無意識的な世界を暗示している。不安とユーモアの同時な発現。」と記していて、今回の展示の様相に近い印象がありました。

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展覧会後のツアーで拝見した首の折れた石仏群

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葭村太一さんの木彫

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Yukawa Nakayasuさんの作品


『アノ ヒダマリニテ』展 の関連トーク&ツアーイベント
2022年3月13日(日曜)
展覧会の概要は昨日、Yukawaさんからお聞きしていましたが、さらに2年間掛けた探索のことや、制作の詳細について聞けたので理解が深まりました。
葭村さんの木彫は現状の首の無くなった石仏をそのまま再現したものと理解していましたが、今日のお話とあとのツアーで実際の姿を拝見して、別々の石仏をまとめて一木で彫ったものであることが分かりました。表現としてバラバラな立体のままよりも、レリーフ状につながることで、制作の意図が明確になっていると感じました。
Yukawa Nakayasuさんの、四天王寺西門の修復工事の際に出てきた、髪の毛などのお供えの、年代が1516年と1669年という説明を聞いて、うち17世紀が私のベンチマークの年代になっているので、より興味を持って作品世界に触れることができるように思いました(17紀のスペインの宮廷画家のファン・カレーニョが描いた5歳の少女の肖像画が現在の視点からは、アーチャンのprader-willi症候群と同じ疾患の子ではないかとされ、それで17世紀に関心があるのですが、特にこの時期がマウンダー極小期(1645年から1715年)という人類の天体観測史上、最も太陽黒点活動が低下した時期とされ、気候変動による天変地異や巨大災害など、人々の生命を脅かす過酷な環境になっていたようで、おそらく西門に髪の毛等を供えて祈願した時期は、日本でも同様に危機的な状況になっていたのではあるまいかと推測しました。円空も1650年(慶安3年)の長良川の大洪水で母を亡くし、その鎮魂の為に木彫仏を作り始めたとされていますし)
後半の無縁墓巡るツアーで、葭村さんが木彫で首の修復された石仏群を拝見しました。上町台地の過去においてはそこから下は海であった場所の荒々しい雰囲気や、西門から極楽浄土へと入水自殺した人々の営為などが、実際にあったんだと、歴史の重みを感じました。

四天王寺西門石鳥居納入品
www.city.osaka.lg.jp


昨日、Yukawa Nakayasuさんからお聞きした、四天王寺西門の納入品の17世紀のものが気になり自分でも検索してみた。
そこに下記の記載がありました。
『年紀の記載があるものは、寛文9年(1669)12月14日と15日のものが大半であり、一部12月13日、16日など、近接した日を記すものも見られた。写経帳や法名書には、明暦2年(1656)から寛文9年までの年紀を記すものも見られたが、寛文9年以降の年紀を持つ納入品は確認できなかった。銅板の銘から、寛文7年(1667)に地震で破損した鳥居を、寛文9年に修復していることがわかるので、その際の納入品と考えられる』
寛文7年(1667)に地震で破損した鳥居を、寛文9年に修復とありますね、この17世紀のマウンダー極小期の時期は太陽黒点が極端に少なく、異常気象や災害に見舞われたようですし、1707年には日本史上最大級の宝永地震も起きていましたから、地殻の活動期だったのかもしれません。
平和な日々を願う人々の思いからの営為だったのでしょうね。

最後に、二つの展覧会のそれぞれの作品を横軸をwell-madeとし、縦軸を身体性として、グラフ化して配列してみました。(途上グラフ化することで、中間体のような有り様に還元されている事に気付くことができました)


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最初のグラフ


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修正後のグラフ

Developmental, behavioral, and metabolic characterization of the Necdin/Magel2 double knockout mouse

Developmental, behavioral, and metabolic characterization of the Necdin/Magel2 double knockout mouse
www.fpwr.org


アメリカの支援財団の記事。
prader willi症候群のモデルマウス作りの研究。

ここに記述されている、欠失遺伝子のうち、necdinは阪大医学部の吉川教授の発見によるもの。
アーチャンが産まれた頃に発見されたこともあり、また千里丘にあるということで、駄目もとで連絡を入れると、マウスモデルのみの研究なので、PWSの患者さんに会ったことが無く、ぜひ研究室に来てくださいとなり、お会いしたことがあります。

もう20年も前の話。

necdinは脳の本能的な古い部分でもある視床下部の形成に影響があり、prader williの原因遺伝子ではとされ、その研究が治療法開発に結び付くのではと大いに期待しましたし、当時入会していたPWS協会に、先生からのコメントをwebに掲載を願いましたが、何故か、顧問的な日本の臨床医はnecdinは原因遺伝子ではないと否定し、交流もされませんでした。
当時の先生からの解説テキスト
prader-willi.hatenablog.com

私は理解出来ず、あまりのことに憤り感じて退会しましたし、今でもその判断は正しかったと思っています。

ようやく、これも海外の研究ですが、necdinとその類縁遺伝子であるMAGEL2(現在はこちらが有力視されています。単独でMAGEL2遺伝子を失った人の症状はPWSにかなり近い別の疾患になることが分かった為です)の両方をKOされたマウスモデルを作り、治療薬の研究に役立てる計画のようです。

きっと、良い結果が出ると期待します。

改めてnecdinについて検索すると、昨年、神戸大学の研究で、自閉症の場合、この領域の重複してることがあり、そのうちどの遺伝子が影響しているか不明であったが、それがnecdinであることを突き止められたようですね。
www.kobe-u.ac.jp

それで、改めて、necdin遺伝子にスポットライトが当たったんでしょうね。

過剰発現でも、欠失でも、脳に変異が生じる。

今後の研究に期待したい。