中嶋佑一個展「Teenage Psychodrama」
2020年2月16日(日曜)
午後、北加賀屋駅に出て、クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡)に行き、中嶋佑一展を観ました。
あいにくの雨で、展示室のフロント部分は屋根が雨音を受けて凄く響いていました。
ただ、それが展示の効果音のようにも感じられ、やや全体的に不気味な外形的な印象をより強調するかのようでした。
知らない作家さんでしたが、在廊されていて、少しお話も伺えたので、理解の端緒は得られましたが、謎の多い表現群でした。
舞台衣装のデザインをされている方のようで、作品も衣服に関わるものがメインでした。
中央の吊るされた、衣服とモデル達の写真パネルと、ポーズのまま人間が抜け出した(中嶋さんの説明)床に落ちてポーズのまま平面に投影されたような表現。
周囲に散在する、吊られた袖を縫い合わせたズボンのような、たぶん履けない衣服。
半透明の袋に入れられて、暗さもあって、デザインも判然としない床に置かれた衣服群。
極端にスケールが縮小、拡大されて、着脱不可能な衣服群。
舞台状のところに置かれた、巨大な傘と、そこから吊られた衣服=千人針的に縫われ、戦争中生き延びることを祈った様式に倣った表現(一部中嶋さんの説明)
それらが、やや諧謔的に象られている。
馴染み易い日常的な衣服のスケールが地続きで、スケールアウトな衣服につながっていて、シンボリックな、距離や大きさに依存しない、文字のような存在と化した部分と、生身の身体の延長な部分とが、シームレスにつながり、ユニークな表現と感じました。
橋本リサ+小谷廣代「線の先へ」展
7月15日(日曜)
午後、名張のセンサートギャラリーへ。
橋本リサ+小谷廣代「線の先へ」展を観ました。
https://www.facebook.com/events/378655659434623/?ti=icl
小谷さんから案内頂いて、ここがアート制作の生活介護施設の中にあるギャラリーとお聞きして、娘のアーチャンの将来の居場所について考え始めた時期だったし、その点からも観ておきたいと思いました。(ここの利用者さんの大半は同じ福祉グループのグループホームから送迎受けて通所されているそうです)
橋本リサ+小谷廣代のお二人の作品は、過去に小谷さんのカフェ&ギャラリーのシェ・ドゥーブルで、もうお一人交えての3人展を三度拝見していました。今回は2人展でしたが、過去の3人展の時に感じたイメージの延長上に思える部分があり、互いの意識は共有されていると感じました。
最初にシェ・ドゥーブルで拝見した2005年6月の、小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展の、個々の作品は独立性が高いけれど、空間次数の循環のような繋がりがあり、
2009年11月の、a room展(小谷廣代・Liisa Hashimoto・猪原秀彦+element)では、その空間次数の揺らぎのようなものが生じていました。
そして3度目の、2011年10月の、「庭へ」展猪原秀彦+element(彫刻/道具)+小谷廣代(平面)+橋本リサ(アクセサリー)では、相互に相手の地(グランド)になったり、図(フィギュア)となり、より繋がりが深く感じられて行きました。
今回の「線の先へ」展では、会場のスケールも大きく、また中庭に繋がるイメージなどから、より作品の繊細さと、2人展という事で、地と図の関係性がよりアートなものとして構成されたものとして感じられました。(シェ・ドゥーブルのギャラリーのサイズでは、ほぼ自動的に重なり合うように見えてしまい、意図なのか、自然発生したものか、曖昧に伝わる可能性がある)
橋本リサさんの作品に見られる、泡構造の泡の接面に生じやすい五角形の、宇宙生成の摂理にも生物の形態(花弁、ヒトデ、そして人体もまた)にも見られる5回対称性を多く含む形状のワイヤーの繋がりが、小谷さんのドローイングと重なり合い、一つの作品世界となっていました。
どこまでも、人間に近い。
過去のレビューとその一部転載を下記に記録しておきます。
小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展(2005年6月)
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20050611/art1
僕の場合は銅版画を始点として見てしまうきらいはあるけれど、展覧会自体を純粋に見つめてみれば、(人間的感覚の限界として、どれか一つのジャンルを始点として見ざるを得ない部分はあるけれど)、ひとつのジャンルを始点とするメタな視点を形成するのではなく、銅版画(二次元表現)にしても、ジュエリー(二次元と三次元の中間体)にしても、家具的なオブジェ(三次元的な構成)にしても、それぞれが、お互いの構成法を内包していて、見ているうちに、どれが始点(メタな視点)なのか曖昧になっていく。興味深い仕事と感じました。
a room展(小谷廣代・Liisa Hashimoto・猪原秀彦+element)(2009年11月)
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20091121/art
a roomという展覧会のタイトルは、ギャラリーのオープンな入口に鉄製の扉(猪原さん制作)を設けて閉じる事で、roomとしての設えが意識されている様子。(画像転載許諾済)
作品の持つ、空間次数のようなものが、微妙にずれていて、小谷さんの平面作品が強いフレームの中に納められながら、2.5次元的な断片へ、Liisa Hashimotoさんの靴をテーマにした小さなアクセサリーは3次元から、例えば靴のつま先を極端にしたように引き伸ばされ、かつコマ送りのように断片化されている。
対照的に、猪原さんの家具や建具などの有用性をまとった作品は、空間にフィットして、揺らがないで静止している。
それらを見ながら、小谷さんに最近自分なりに考えていた事など話してみた。
過去の自分が作っていたものを振り返ると、「眼球運動に伴う心の安定」を無意識のうちにテーマにしていたように感じる。それは娘の療育や行動療法について学んできた過程で知った、EMDR的なセラピーにもつながるような方法であった。人の視覚認知は、眼球の飛び飛びの動きをつなげていって、滑らかなイメージを獲得できているように感じられ、それをアートとして、緩慢な動きとして描くことではなかったかと。
人間的能力の限界として、獲得することのない、全体像のようなもの、それが得られないとしても不安では無い、そのようなイメージを描くこと、それは決して無駄な徒労では無い。
「庭へ」展
猪原秀彦+element(彫刻/道具)+小谷廣代(平面)+橋本リサ(アクセサリー)(2011年10月)
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20111029/art2
今回のテーマは「庭へ」。それぞれの作品のジャンルの個性、多様性を活かしつつ、相手の背景「地」となったり、表に出て「図」となる様や間合いが自然な印象。
過去のグループ展では、それぞれの作品が異なった次元数をまとっていて、それを重ね合わせたり、合成することよりも、個々の変形の様相がイメージとして焼き付く印象。
今回の展示では、次元数の感覚を共有化している感じがあり、そしてそのことは画廊空間や人体へ密着し、フィットしていく感覚をより感じさせている。