橋本リサ+小谷廣代「線の先へ」展

715日(日曜)

午後、名張のセンサートギャラリーへ。

橋本リサ+小谷廣代「線の先へ」展を観ました。

https://www.facebook.com/events/378655659434623/?ti=icl

 

小谷さんから案内頂いて、ここがアート制作の生活介護施設の中にあるギャラリーとお聞きして、娘のアーチャンの将来の居場所について考え始めた時期だったし、その点からも観ておきたいと思いました。(ここの利用者さんの大半は同じ福祉グループのグループホームから送迎受けて通所されているそうです)

 

橋本リサ+小谷廣代のお二人の作品は、過去に小谷さんのカフェ&ギャラリーのシェ・ドゥーブルで、もうお一人交えての3人展を三度拝見していました。今回は2人展でしたが、過去の3人展の時に感じたイメージの延長上に思える部分があり、互いの意識は共有されていると感じました。

 

最初にシェ・ドゥーブルで拝見した20056月の、小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展の、個々の作品は独立性が高いけれど、空間次数の循環のような繋がりがあり、

200911月の、a room展(小谷廣代・Liisa Hashimoto・猪原秀彦+element)では、その空間次数の揺らぎのようなものが生じていました。

そして3度目の、201110月の、「庭へ」展猪原秀彦+element(彫刻/道具)+小谷廣代(平面)+橋本リサ(アクセサリー)では、相互に相手の地(グランド)になったり、図(フィギュア)となり、より繋がりが深く感じられて行きました。

 

今回の「線の先へ」展では、会場のスケールも大きく、また中庭に繋がるイメージなどから、より作品の繊細さと、2人展という事で、地と図の関係性がよりアートなものとして構成されたものとして感じられました。(シェ・ドゥーブルのギャラリーのサイズでは、ほぼ自動的に重なり合うように見えてしまい、意図なのか、自然発生したものか、曖昧に伝わる可能性がある)

 

橋本リサさんの作品に見られる、泡構造の泡の接面に生じやすい五角形の、宇宙生成の摂理にも生物の形態(花弁、ヒトデ、そして人体もまた)にも見られる5回対称性を多く含む形状のワイヤーの繋がりが、小谷さんのドローイングと重なり合い、一つの作品世界となっていました。

どこまでも、人間に近い。

 

 

過去のレビューとその一部転載を下記に記録しておきます。

 

小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展(20056月)

https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20050611/art1

僕の場合は銅版画を始点として見てしまうきらいはあるけれど、展覧会自体を純粋に見つめてみれば、(人間的感覚の限界として、どれか一つのジャンルを始点として見ざるを得ない部分はあるけれど)、ひとつのジャンルを始点とするメタな視点を形成するのではなく、銅版画(二次元表現)にしても、ジュエリー(二次元と三次元の中間体)にしても、家具的なオブジェ(三次元的な構成)にしても、それぞれが、お互いの構成法を内包していて、見ているうちに、どれが始点(メタな視点)なのか曖昧になっていく。興味深い仕事と感じました。

 

a room展(小谷廣代・Liisa Hashimoto・猪原秀彦+element)(200911月)

https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20091121/art

a roomという展覧会のタイトルは、ギャラリーのオープンな入口に鉄製の扉(猪原さん制作)を設けて閉じる事で、roomとしての設えが意識されている様子。(画像転載許諾済)

作品の持つ、空間次数のようなものが、微妙にずれていて、小谷さんの平面作品が強いフレームの中に納められながら、2.5次元的な断片へ、Liisa Hashimotoさんの靴をテーマにした小さなアクセサリーは3次元から、例えば靴のつま先を極端にしたように引き伸ばされ、かつコマ送りのように断片化されている。

対照的に、猪原さんの家具や建具などの有用性をまとった作品は、空間にフィットして、揺らがないで静止している。

それらを見ながら、小谷さんに最近自分なりに考えていた事など話してみた。

過去の自分が作っていたものを振り返ると、「眼球運動に伴う心の安定」を無意識のうちにテーマにしていたように感じる。それは娘の療育や行動療法について学んできた過程で知った、EMDR的なセラピーにもつながるような方法であった。人の視覚認知は、眼球の飛び飛びの動きをつなげていって、滑らかなイメージを獲得できているように感じられ、それをアートとして、緩慢な動きとして描くことではなかったかと。

人間的能力の限界として、獲得することのない、全体像のようなもの、それが得られないとしても不安では無い、そのようなイメージを描くこと、それは決して無駄な徒労では無い。

 

「庭へ」展

猪原秀彦+element(彫刻/道具)+小谷廣代(平面)+橋本リサ(アクセサリー)(201110月)

https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20111029/art2

今回のテーマは「庭へ」。それぞれの作品のジャンルの個性、多様性を活かしつつ、相手の背景「地」となったり、表に出て「図」となる様や間合いが自然な印象。

過去のグループ展では、それぞれの作品が異なった次元数をまとっていて、それを重ね合わせたり、合成することよりも、個々の変形の様相がイメージとして焼き付く印象。

今回の展示では、次元数の感覚を共有化している感じがあり、そしてそのことは画廊空間や人体へ密着し、フィットしていく感覚をより感じさせている。

特別展 昆虫

7月21日(日曜) 長居公園内にある大阪市立自然史博物館へ家族で行き、特別展昆虫を観ました(ブロガー無料招待に申し込んで、今回もラッキーに当選しました)

夏休み最初の週末で子供連れの観客がたくさん来られていました。

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特別展昆虫

https://www.ktv.jp/konchu/

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過去の様々な特別展、特に恐竜展などは体のサイズも巨大だし、娘も喜ぶような触れる展示がありましたが、昆虫は小さいしで今回は触れる展示はありませんでした。

その分、日常的に見る機会もある小さな昆虫たちの、200倍に拡大した蜂や30倍のクワガタや蝉や蝶のモデル展示が、見逃している昆虫の形態の細部の美しさ不思議さを伝えています。

 同様に、海外の、普段見ることの無い、かつ肉眼では小さ過ぎて形態も分からないけれど、拡大すると想像を絶するような不思議なツノゼミの展示も、昆虫の多様性を伝えてくれます。

最初、冬虫夏草と見間違えてしまいました、進化論などで説明つくのでしょうか、謎だらけな形、とても魅力的です。

 生態の不思議さでは、イグノーベル賞受賞したトリカエチャタテのオスメスの生殖器の逆転現象の展示もユニークです。従来の概念が覆る研究らしい。これも進化論で説明つくのでしょうか。

 膨大にある標本を見て、娘のアーチャンは自分の好きなカラーの昆虫を探してきては写真撮ってとリクエスト。生きてて動くところも見てみたくなる美しさですね。

妻のリクエストは真逆の地味なカラーの標本でした。

 

 生きてる昆虫の展示のメインがGの部屋という事で、私はちょっとGは苦手で、もう少しカラー的にも子供達が導入部として喜びそうなものの方が良いのではと思いましたが、海外のGは森林の葉っぱなど食べて処理してくれる自然環境に無くてはならない存在と展示パネルで知り、認識を改めました。

 

昆虫研究でまだまだ新種が発見されているらしく、その生態の多様性を改めて知る機会になりましたし、美しい標本はいつまでも見飽きません、お薦めの展示です。